マツダの2026年3月期の決算は、売上高が4兆9181億7200万円(前年同期比2.0%減)、営業利益515億7900万円(前年前期比72.3%減)、経常利益1318億3500万円(前年前期比30.2%減)、純利益350億8600万円(前年前期比69.2%減)となった。大幅な減益だが、米国の関税の影響や中東情勢、中国の需要の悪化などにもかかわらず黒字を確保したことで、改めて毛籠社長の堅実な経営に注目が集まった。今回は毛籠社長が推し進める『ブランド価値経営』、そのきっかっけとなる「ブランド価値」に毛籠社長が気づくまでを、生い立ちや経歴を含めてお聞きした。
文:佐藤篤司/写真:森山良雄、マツダ
【画像ギャラリー】根っからのマツダ車育ちでグローバル志向!? ブランド価値向上に奮闘したマツダ 毛籠社長の人柄が窺えるショットはコチラ!(9枚)画像ギャラリー新型CX-5に加え、タイから輸入するCX-3で国内市場を活性化
2026年5月12日、マツダが発表した2026年3月期(通期)の連結決算は、まさに「執念の黒字化」とも評されるほどだった。
理不尽とも言えるようなアメリカの関税措置などが影響して「減収減益」とはなったものの、コスト改善や固定費の削減などの企業努力を重ねたことで、純利益は黒字を維持。会見の冒頭、毛籠勝弘社長(以下、毛籠社長)は「やっと黒字にできた、これからが事業構造改革の本番。しっかりと取り組んでいきたい」と表情を引き締めた。
それから半月あまり経過した5月下旬、「4月の国内生産台数は前年より14.6%上回った。主力SUV新型『CX-5』の販売が順調」という発表が行われた。
毛籠社長が「当社の『2030経営方針』における収益モデルの重要なモデルであり、今期の成長はCX-5が担います」とした期待の新型モデルの現在位置が公表された。世界情勢はいまだに不確定要素に溢れている中で、たとえ小さな経過報告であっても企業モチベーションを維持するには十分な力を発揮する。
マツダは今後「EV戦略の見直しと自社開発を行うものの、新型電気自動車の投入時期を2年遅らせて2029年とすること」をすでに発表。一方で「国内での生産終了が見込まれるマツダ2に変わり、タイで生産される「次期CX-3」を国内に投入する計画」など直近のプランが明らかになっている。
こうして主力モデル「CX-5」の投入によってスタートを切ったマツダの反転攻勢。その成否は、同社の経営哲学である『ブランド価値経営』を実践してきた毛籠社長の双肩に掛かっている。
どのようにして『ブランド価値経営』に至ったのか? それを知るには毛籠社長の異色の経歴を紹介しておきたい。
父の影響もあって常にマツダ車があり、マツダ車と過ごした青春時代
「マツダに異色の社長誕生」。そんな思わせぶりなニュースが流れたのは2023年6月、マツダの定時株主総会後だった。当時、専務だった62歳の毛籠勝弘氏が「社長に昇格内定」したことが公表されたのだが、誰もが“異色”の意味を探った。
1983年に地元の京都産業大学法学部を卒業し、マツダに入社。以来、一貫して営業部門やマーケティング部門を中心に歩んできたという毛籠勝弘社長だが、マツダにとって「グローバルマーケティング」出身で10年ぶりの『文系社長』だったからだ。
しかし、プロパー社員として積み重ねてきた数々の実績、さらにはマツダ・ブランドへの並々ならぬ想いを知る者にとっては「社長就任」は当然だった。その意味を探るためにもまず、毛籠社長の幼少期から学生時代を少し覗いてみよう。
まだ自家用車は憧れの存在だった1960年、京都府京都市に毛籠勝弘社長は誕生した。
「花街などという言葉だけ見ると、艶っぽさがあるかもしれませんが、その記憶はありません。というか、父が同じ市街の別の場所にすぐに引っ越したため“艶っぽい記憶”はないんです」と笑う。
注目したいのはその実父がマツダ車の販売店に勤め、さらには釣りやハンティングなどをたしなむ趣味人だったこと。
「気がつけば家にはいつもマツダ車があり、ことあるごとに私は父のお供をして色々なところに連れて行かれました。まだ自家用車を持っている家もそれほど多くなかったんですが我が家には小さな軽自動車ですが「R360」があったんです。子供心にもそれだけでも、ちょっと自慢でした」
家族揃っての楽しいマツダ車でのドライブの記憶を積み重ねていく毛籠勝弘社長。
「「R360」から「キャロル」になり、そして「ファミリア」になるといった具合に、いつも新しいマツダ車が家にあったと思います。そして当時、大きな話題となったロータリーエンジンのファミリア・セダンもありましたね。あの速さには本当に驚きました」
1968年7月、「コスモスポーツ」に続くロータリーエンジン搭載車「ファミリアロータリークーペ」が登場し、その翌年の69年7月にはロータリーエンジン搭載の4ドアセダン「ファミリアロータリーSS」も誕生。
心臓部には排気量491cc×2の10A型2ローターエンジンが与えられ、100馬力を発生。最高速度は180km/hに達し、小型軽量の車体を活かして0~400mの加速は16.4秒という俊足の4ドアセダンが毛籠家にあったという。それまで軽自動車ぐらいしか経験してこなかった小学生の毛籠少年を驚かせるには、十分すぎるほどの高性能スポーツモデルだった。
「加速の強烈さやその速さにはとにかく驚きましね。ただ速いことは分かったんですが、ロータリーエンジンがいかなるもので、どれほど凄いものなのかまでは理解できませんでした。それでも他には真似の出来ないエンジンを積んでいる、めちゃくちゃ速い車」
そんなロータリーエンジンに対する印象を子供時代に抱いていたからだろうか。自ら「社長が一番ロータリーへのこだわりを持っているかもしれませんね(笑)」と言い、
「ロータリーは伝統工芸品のような存在で、次世代に残したい強い思いがあります。エミッション適合や技術進化が必要ですが、コンパクトなサイズで他に代替がない“唯一無二のアドバンテージ”は大きいと思います。さらに言えばカーボンニュートラル燃料にも対応可能ですし、電気自動車だけに依存しない多様なソリューションの一つとして位置づけていくことも可能です」と語る。
この毛籠社長の言葉には、多くのマツダ・ファンが望んでいるであろう「駆動用エンジン」としてだけでなく、カーボンキャプチャーなどの新技術との組み合わせによって、環境負荷低減に貢献できるという想いが内包されているのかもしれない。
マツダ車と過ごしながら“クルマが持つ可能性”という魅力を体験しながら成長していく毛籠社長。
「大学へと進学してからはよく遊び、気がついたら勉強する生活。本格的に始めたのがゴルフとスキーでした。実はお酒が飲めなかった父が営業上のツールとしてゴルフを趣味にしていたのですが、そのお付き合いで私は中学生の頃から練習場に行っていました。
結局は面白くなり、高校時代からキャディのバイトなどをやりながら春から秋まではゴルフに熱中し、冬になると、これも当時のブームになっていたスキーに熱中しました。なにより女の子にモテましたから、基礎スキーのインストラクターの資格まで取りました」
本来ならば司法書士を目指して法学部に進んだ毛籠社長だが、ゴルフにスキーにと「充実した学生生活」を送っていた。同時に
「ラウンドの行き帰り、そしてスキーで白馬までのロングドライブなど、私の行動を支えてくれていたのはマツダ ファミリアでした。当時、人気もあり、なにより走りもよく、荷物も積めて実用性も高い。デザインも好きでしたから、とにかく移動が楽しかった」
こうした原体験があってこそ「マツダ・ブランド」への想いも自然に醸成されていった。
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