マツダが100周年を迎えた2020年だが、ロータリーエンジンの復活を待ち望む声はとても多い。もちろん復活したからと購入する人ばかりではないが、マツダにとってロータリーエンジンの存在がいかに大きなものであるかは感じることができる。
現在のところ、レンジエクステンダーでの復活が最も有力なロータリーエンジンだが、なぜここまで愛されるエンジンとなったのか? 過去の搭載モデルを振り返りつつ、ファンを魅了するようになった理由について、3台のRX-7を乗り継いだロータリーファンの岡本幸一郎氏が解説していく。
文/岡本幸一郎
写真/MAZDA
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■世界に衝撃を与えたマツダが生み出したロータリーエンジン
マツダの100年の歴史のうち、多くのメーカーが開発に着手したなかで、マツダだけがものにしたといえる「ロータリーエンジン」を搭載したクルマをラインアップしていた期間は約45年と半分近くにおよぶ。
1967年に登場した「コスモスポーツ」は、その独特のスタイリングとドライブフィールが世に衝撃を与えた。
翌1968年から「ファミリア」「ルーチェ」「カペラ」「サバンナ」などの量販モデルはもとより、マツダは昭和40年代ロータリーのフルラインアップ化を進め、はてはトヨタや日産と並ぶことを念頭に自社開発できない大型セダンを、豪GM系のホールデンから調達した「ロードペーサー」まで、あるいは44台のみ生産されたマイクロバスの「パークウェイ」まで、とにかくあらゆる車種に排気量や仕様を差別化してロータリーを順次搭載した。
その加速フィールは多くの人を魅了し、日本だけでなく、サーマルリアクターなどで当時の厳しい排ガス規制に対応すべく改善を図った上で導入された北米でも高く支持され、急速に販売を伸ばした。
その後は、6ポート化やインジェクション化などの変更があったなかでも、もっとも大きな転機といえるのがターボチャージャーの搭載だ。ロータリーとターボの相性はよく、もともと持ち合わせていたスムーズな回転感に加えて、より圧倒的な加速力を身につけたことが走りを求める層を虜にした。のちに「FD3S型 RX-7」を3台も乗り継いだ筆者もそのひとりだ。
■スポーツカーに特化したロータリー 環境対応が難しく消滅
ただし、問題も少なくなかった。レシプロのように普及することなく、最終的にはスポーツカーに特化したユニットとして生き永らえさせることが選ばれたのは周知のとおりだが、その理由は燃費だけではない。性能的には高く評価されたいっぽうで、もうひとつ寿命の短さという大きなネガを抱えていた。いずれも量販車にとってはいただけない要素だったのは否めない。
かたやスポーツカーにとってはよい面がいくつもある。爆発力で生じた回転をそのまま直接的に回転に置き換えるロータリーは、生来的に回転することが大得意なので、高回転を多用するスポーツドライビングに向いている。
さらには、性能面でも簡単なチューニングで大幅なパワーアップが望めたのも魅力のひとつだ。チューニングの盛んだった1980~90年代には多くのショップがそれを目当てにRX-7を手がけ、当時すでに400psオーバーを引き出した車両がざらにあったものだ。
また、アクセルレスポンスがよろしくないとされがちなロータリーだが、それは実用域での話。攻めた走りで上まで回してそこからさらに加速したい時のパワーが、瞬時についてくるパンチの聞いた加速感はレシプロの比ではない。
さらにユニット自体がコンパクトなおかげで、それゆえ搭載位置をレシプロでは不可能なほど後方によせるフロントミッドシップが可能となり、軽量なうえに前後重量配分も重心も低くなる。歴代RX-7の切れ味鋭いハンドリングは、ロータリーを積んでいたからこそなしえたものといえる。
そんなロータリー搭載車も、ユーノスコスモは1995年に生産終了となり、FD3S型 RX-7のみとなったが、やがて2002年8月、日産「R34スカイラインGT-R」、トヨタ「70スープラ」、日産「S15 シルビア」らとともに、「平成12年排出ガス規制」への対応から生産終了となったのは周知のとおり。
その後は、ロータリーに未来はないとする当時の親会社だったフォード上層部を説得して反対を押し切り、新技術を駆使した自然吸気の「レネシス」を搭載した「RX-8」を発売。ロータリーの強みを活かし、それまでにない9000rpmのレブリミットを実現していたのが特徴だったが、それも環境対応の難しさから2012年に姿を消した。
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