毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はいすゞ ピアッツァ(1981-1994)をご紹介します。
【画像ギャラリー】日本のクルマの「もう一つの未来」だったかもしれない!? いすゞ ピアッツァをギャラリーでチェック!!!
文/伊達軍曹、写真/ISUZU
■ジウジアーロデザイン 稀代のスペシャルティクーペ
工業デザイン界の世界的巨匠が生み出した未来的造形の初代モデルはインパクト大だったものの、その後登場した2代目は凡庸なデザインに成り下がり、メーカーの乗用車ビジネス撤退に伴って1994年12月に消滅した異端のビッグネーム。
それが、いすゞ ピアッツァです。
初代ピアッツァは、1968年から長きにわたって製造販売された「117クーペ」の後継にあたる4座式の2ドアクーペ。
その未来的なデザインはイタリアの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロがほぼ全面的に担当しました。
いすゞからの依頼を受けたジウジアーロは、まずは「アッソ・デ・フィオーリ」(イタリア語でクラブのエースの意味)というデザインコンセプトカーを1979年のジュネーヴショーに出展。
それを――もちろん細かな修正はたくさんされていますが――ある意味「ほぼそのまま」といっても過言ではない形で量産車化したのが、1981年6月に発売となった初代いすゞ ピアッツァでした。
ボディ全体としては曲面を多用した独特のオーバルシェイプで、最前部に据えられたヘッドランプは「まぶた」のようなセミリトラクラブル式。
上級グレードであるXEには当時最先端のデジタルメーターが用いられ、すべてのグレードに、ステアリングから手を離さずにさまざまな操作が行える「サテライトスイッチ」採用されました。
駆動方式は117クーペと同じくFRで、当初の搭載エンジンは初代ジェミニZZ用の1.8L DOHCを1.9Lに拡大したG200WNと、117クーペ用2L SOHC(G200ZNS)の改良版。
トランスミッションは5MTと4速ATが用意されました。
デビューから2年後の1983年5月には、それまで日本の交通法規の関係で仕方なく採用していたフェンダーミラーが本来のドアミラーになり、1984年6月には最高出力180ps(グロス値)のインタークーラー付き2L SOHCターボエンジンを追加。
またそれ以降は、ドイツのチューナー「イルムシャー」が足回りをチューンしたモデルや、英国ロータスとの技術提携で生まれた「ハンドリングバイロータス」、あるいはヤナセが販売する「ピアッツァ・ネロ」を発売。
マニアックな造形の2ドアクーペですので「バカ売れする」ということはありませんでしたが、「独特の存在感を持ったスペシャリティカー」として一定の人気を維持。
デビューから10年後の1991年8月に販売終了となるまでに、計11万3419台が生産されました。
そして初代ピアッツァがその役割を終えた1991年8月、「2代目のピアッツァ」が日本国内でも発売となりました。
こちらはジウジアーロではなくいすゞの社内デザインで、駆動方式もFRからFFに変更。
1.8LのDOHCエンジンを含めて決して悪い車ではなかったのですが、初代のように大きな話題となることもなく、販売は低空飛行が続きました。
そして1994年12月、いすゞが乗用車の自主生産から撤退したことに伴って2代目ピアッツァも廃番に。
かつて(一部で)一世を風靡したその車名は、新車マーケットからは永遠に消滅することと相成りました。
コメント
コメントの使い方