■もしいすゞが乗用車から撤退していなかったら?
いすゞ ピアッツァという車が生産終了となった理由。それは直接的には前述したとおり、1994年12月をもっていすゞが乗用車の自主生産をやめたから、です。
しかし歴史の「if」として、もしもあのときいすゞが乗用車ビジネスから撤退していなかったら、2代目ピアッツァはそこそこ長いモデルライフを全うできたのでしょうか?
こればっかりは、本当の正解なんて誰にもわかりません。
しかし「確度の高い推測」として言うのであれば、おそらくは、いすゞの撤退がなかったとしても早々に廃番となっていたことでしょう。
初代ピアッツァは、「理想的なクーペ」であったかどうかは知りませんが、少なくとも「志をもって作られたクーペ」ではありました。
今までにない斬新さがありながらも美しく、そして実用的でもあるというスタイリングを巨匠ジウジアーロが提案し、いすゞは見事にそれを受け止めました。
そして数はそこまで多くはなかったですが一部のユーザーも、そんな初代ピアッツァを熱烈に愛しました。
しかし1991年8月に登場した2代目は、理想に燃えた初代とは車名が同じというだけで、内実は「まったく別の車」と言っても過言ではないものでした。
2代目ピアッツァの“そもそも”は、米GMが廉価ブランド「ジオ」を立ち上げた際に、GMがいすゞに開発を依頼した「ジオ ストーム」なる2ドアワゴン。
これは、当時開発中だった3代目ジェミニクーペをちょっと変えたものです。
そのジオ ストームのフェイスリフト版である2代目の「いすゞ インパルス」が1990年にアメリカで発売され、この他にもいろいろあったうえで、インパルスの日本版として1991年に日本で発売されたのが、2代目のいすゞ ピアッツァおよびピアッツァ・ネロだったのです。
このあたりはちょっとややこしい話ですので、いちいちマジメに読んでいただかなくても結構です。
「要するに2代目ピアッツァはGMの都合で生まれた車であって、初代とはほとんど関係ない」ということだけが伝われば、それでオッケーです。
そのようにソウル(魂)もなく、ジウジアーロが考案したような美しさや斬新さもなく、そして使い勝手が良いわけでもない2ドアクーペの命運は、仮にいすゞが乗用車の自主生産から撤退しなかったとしても、そう長くは持たなかったはずです。
それでも、初代いすゞ ピアッツァは「偉大な生産終了車」だと言えるでしょう。
■いすゞ ピアッツァ(初代) 主要諸元
・全長×全幅×全高:4310mm×1655mm×1300mm
・ホイールベース:2440mm
・車重:1190kg
・エンジン:直列4気筒DOHC、1949cc
・最高出力:135ps/6200rpm
・最大トルク:17.0kgm/5000rpm
・燃費:――km/L(10・15モード)
・価格:246万5000円(1981年式 XE)
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