時代を大きく変えた製品は、出た瞬間に「これで世の中が変わる」と実感できるものだったのか。もしかすると、それほど衝撃的ではなかったのではないか。いったいどんな感じだったのか。その登場や普及には背景があるはずで、しかも(それまでの価値観とはまったく違う製品であればあるほど)紆余曲折があったのではないか。
本稿ではそんな「時代を変えた初代モデル」登場時の時代背景とインパクトを、当時を知るジャーナリストに伺います。まずは世界初の量産型ハイブリッド車である初代プリウス(1997年)の話から。
文/片岡英明 写真/トヨタ、Adobe Stock、ベストカー編集部
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■世界的な「環境」へのシフト
1997年12月、京都市で国連の気候変動枠組条約国第3回締結会議(COP3)が開催された。各国の代表は地球温暖化防止に向けて熱心に議論を続け、日本政府も2008〜2012年までに温室効果ガスの排出量を90年比で6%削減する目標達成を義務付けられている。
この会議において採択されたのが、ご存じ京都議定書という国際条約だ。
この締結会議が開催される2カ月前の10月14日、トヨタは世界初の自動車を発表している。エンジンにモーターを組み合わせた量産初のハイブリッド車、プリウスだ。
開発計画は「G21プロジェクト」と呼ばれ、1993年にスタートした。だが、最初は次世代に向けた先行開発のようなもので、エンジンの改良を主眼に、燃費改善の研究を進めている。当然、市販は考えていない。
電動技術を盛り込んだハイブリッド車で行く、と決まったのは1995年が間近に迫った頃だった。トヨタ上層部が「燃費が30%よくなったくらいでは納得できない」と言い始めたからである。開発の目標値は従来のエンジンの2倍の燃費性能だった。120%ではない。200%である。
燃費を2倍アップするためには電動化に頼らざるを得なかった。
開発が続き、ある程度の成果が見えてきたので、1995年秋の東京モーターショーにトヨタエネルギーマネージメントシステムを参考出品、コンセプトカーも展示する。直噴のD4エンジンを搭載し、これにCVTとキャパシタを組み合わせた。
ショーでは新開発エンジンに目を向ける人は多かったが、モーターとバッテリーに注目するギャラリーは皆無に近かった。だが、燃費を気にする人は予想以上に多かったため、商品化に向けて動き出すのである。
とはいえこの時点、96年あたりまではバッテリーなどに不安を抱えていた。ここから1年余りで問題点を洗い流し、対策を講じて1997年10月の正式発表にこぎつけている。
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