毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回は日産 インフィニティQ45(1989-1997)をご紹介します。
文/伊達軍曹、写真/NISSAN
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■「日本ならではの高級車像」を体現すべく登場したインフィニティQ45
1980年代後半の未曾有の好景気を背景に、メルセデス・ベンツやBMW、ジャガーなどを仮想敵とする「大型高級サルーン」として開発をスタート。
そしてそれは、先行して開発が始まっていた初代トヨタ セルシオも仮想敵とするモデルでもあった。
だが結果としてさまざまな「読み違え」により人気を博すには至らず、日本市場からは1代限りで消えていったセダン。
それが、日産 インフィニティQ45です。
日産は1989年、北米市場向けの高級車ブランドとして「インフィニティ」を設立。そのフラッグシップモデルとして、日本では同年11月に「日産 インフィニティQ45」が発売されました。
キャッチフレーズは「ジャパン・オリジナル」。
欧米列強が作ってきた高級車とは異なる「日本ならではの高級車像」を創出しようと考えたのです。
高級サルーンでは常識的に定番だった大型のフロントメッキグリルを排してグリルレスとし、そこに七宝焼きの専用オーナメントを装着。
ボディには、グラファイトの作用により光源や角度に応じて色味が変わって見える「トワイライトカラー」が採用されました。
インテリアでは、これまた高級サルーンでは当たり前の装備であった木目パネルは使わず、インパネには漆塗りの「KOKONインスト」もメーカーオプションとして設定しました。
搭載エンジンは可変バルブタイミング機構とマルチポートインジェクションを組み込んだ新開発の4.5L V8DOHC。
トランスミッションは、シフトアップとダウン時にエンジントルクが制御されるタイプの4速ATで、サスペンションは当時の日産 スカイラインやフェアレディZで高い評価を得ていた4輪マルチリンク方式。
さらに、市販車としては世界初の油圧アクティブサスペンション装着車も用意されました。
初期年式の主なグレードバリエーションは標準車のほか、本革内装と鍛造アルミホイールを採用する「Lパッケージ」と、Lパッケージに油圧アクティブサスペンションを合わせた「セレクションパッケージ」。
価格は524万~634万円と、当時の日産車では最高価格帯に位置するものでした。
そのような形でデビューした日産 インフィニティは、ほぼ同時期に登場した初代トヨタ セルシオに静粛性では劣るものの、スポーティに走らせる分には「セルシオより明らかに上」というのが、当時のジャーナリスト諸氏のおおむね共通する見解でした。
しかし実際に発売されたインフィニティQ45は、ユーザーからは今ひとつ支持されませんでした。
1993年のマイナーチェンジで七宝焼オーナメントと漆塗りインパネを廃止し、一般的なフロントグリルと木目パネルを採用するなど、明らかな「方向転換」が行われましたが、それでも日産 インフィニティQ45のセールスが上向きになることはありませんでした。
そのため日産は、1997年5月にインフィニティQ45生産を終了。同年9月には、3代目日産 シーマに統合される形で販売も終了となりました。
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