元祖ハイソカー みんなが憧れたソアラの中古車今いくら?

元祖ハイソカー みんなが憧れたソアラの中古車今いくら?

 現在、50代以上の方は、「ハイソカー」と聞いて、まず思い浮かべるクルマはなんだろうか? 多くの人は、トヨタソアラと答えるはずだ。

 初代か2代目、どちらのモデルも、安くはない高級車だっただけに、当時の20代は憧れ、30代、40代はどうにかローンで手に入れ、モテモテなクルマ生活を送っていたことだろう。

 初代ソアラは1981年2月~1986年1月、2代目が1986年1月~1991年5月に販売された。初代ソアラが発売されてから早40年、2代目ソアラが販売終了になってから30年の月日が流れた。当時、ソアラに憧れた20代、30代の若者たちは、今や50代、60代。

 そんなおじさんのみなさん、当時を思い出し、当時買えなかったソアラを買ってみませんか? 

文/萩原文博
写真/トヨタ

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クルマでモテた ハイソカーブームが起きた時代が懐かしい

初代ソアラは1981年2月〜1985年12月まで販売。キャビンと同時にボディ全体に“踏ん張りスタイル”という安定感のあるデザインは新鮮な印象を与えた。さらに「トーン・オン・トーン」という上下に同系色の2色でまとめた配色も珍しかった
初代ソアラは1981年2月〜1985年12月まで販売。キャビンと同時にボディ全体に“踏ん張りスタイル”という安定感のあるデザインは新鮮な印象を与えた。さらに「トーン・オン・トーン」という上下に同系色の2色でまとめた配色も珍しかった

 1970年代のスーパーカーブームから現在のSUVブームまでクルマはさまざまな流行が起こった。今回注目したクルマのブームは1980年代に起こった「ハイソカーブーム」だ。

 50代の人は懐かしいと感じるだろうが、若い人はハイソカーって一体何? となるだろう。ハイソカーの語源はHigh society car。

 現代風にいうと、レクサスのようなプレミアムモデルを指すと言える。それはなぜかというとハイソカーブームの中心車種はトヨタ車だったからだ。

 一般的なクルマのブームはスーパーカーのようにブランドやそのクルマのもつ高いポテンシャルやミニバン、SUVのようなクルマのボディタイプで括られることが多い。

 しかし、ハイソカーはトヨタ車そして、スーパーホワイトと呼ばれるボディカラー。そしてツインカム24というエンブレムがマストアイテムだったのだ。

 そしてハイソカーと呼ばれた車種は60~80系のマークII、チェイサー、クレスタの3兄弟。S120~S130系のクラウンといったFRの駆動方式を採用したセダン。

 そしてスペシャリティカーの10~20系のソアラなどが該当した。1980年代、クルマは女性にもてるためのアイテムで、ハイソカーブームはそうした流れのなかで発生したものだった。

 以前、携わっていた編集部に、就職の際にスーパーホワイトのマークIIを勧められて購入した4歳上の先輩がいた。当時クルマにほとんど興味がなく、“もてる”ためにハイソカーである80系マークIIを購入したというハイソカーブームの生き証人だった。

 ただこのハイソカーブームをきっかけにトヨタ車の白(パール)人気は不動のものとなったことは紛れもない事実だ。

 他方、開発にあたった初代ソアラの開発責任者、岡田捻弘氏が白洲次郎氏からもらった手紙も逸話として残っている。初めて面会して数日後にゴルフボールとともに送られてきた白洲次郎氏から来た手紙には初代ソアラの問題点が箇条書きにしてあったという。

 少々話がそれてしまったが、今回はこのハイソカーブームを作ったスペシャリティカーの初代、2代目ソアラの中古車事情について紹介する。

ソアラの開発責任者、岡田捻弘氏が白洲次郎氏からもらった手紙
ソアラの開発責任者、岡田捻弘氏が白洲次郎氏からもらった手紙

初代ソアラを作った男が白洲次郎からもらった手紙

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