6月に経営から離れて引退するスズキの鈴木修会長が、5月13日に行われた決算会見で「芸術品の軽自動車を守り通してほしい」と語った。この発言から、軽自動車は窮地に立たされていることが読み取れる。
では今、軽自動車にはどのような危機が迫っているというのか? モータージャーナリストの桃田健史氏が解説する。
文/桃田健史 写真/SUZUKI、ベストカー編集部
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■ついにスズキのXデー来たる!
スズキの鈴木修会長(91歳)が2021年6月に退任し、相談役に就任する。
約42年間に渡り、社長また会長として経営トップの激務をこなしてきた鈴木氏は、日本の自動車産業を力強くけん引された方である。
筆者からも鈴木会長に「ありがとうございました。本当にご苦労様でした」と業界全体へのご尽力に対して敬意を表したい。
さて、スズキが2021年5月13日に実施した2021年3月期決算発表の際、鈴木会長は決算発表に出席するのは今回が最後となることから、報道陣に対して「ごきげんよう」と挨拶をした。
さらに「芸術品の軽自動車を守り通してほしいね」という自らの思いを語った。
この言葉を裏から見れば、「軽自動車(規定)を維持することは極めて難しい」と解釈できる。
これは筆者の私見だけではない。業界では鈴木会長退任を、いわゆる「Xデー」として、Xデー後の軽自動車規制の継続を危ぶむ声が以前からあった。
軽自動車は日本の宝であると同時に、日本固有のガラパゴス車であることなどから、軽自動車規定を将来も維持すべきかどうか、自動車業界やその周辺にはさまざまな意見がある。
そのなかで鈴木会長は、いうならば「軽自動車の防波堤」として軽自動車存続を守ってきた。その防波堤がなくなることで、軽自動車の未来が不透明になるということを、鈴木会長自身は自負しているのだと思う。
■スズキは軽自動車界の功労者
まずは、軽自動車の歴史を振り返ってみたい。
軽自動車検査協会によると、軽自動車の歴史は戦後の昭和24年(1949年)7月から始まった。
当時の運輸省令第36号「車両規則」では、全長2.8m×全幅1.0m×全高2.0m、エンジン排気量は4サイクルが150cc、2サイクルが100ccで最大出力1.2kWと規定された。
翌昭和25年7月には一部法改正により、軽自動車の二輪車、三輪車、四輪車の区分が新設され、三輪車および四輪車は全長3.0m×全幅1.3m×全高2.0m、エンジン排気量が4サイクルで300cc、2サイクルで200㏄へと四輪車は2輪車に比べてより大きく、よりパワフルな設定となった。
その後、何度かの規定変更があり、主なものでは排気量が昭和50年(1975年)9月に550cc、また平成元年(1989年)2月に660ccへと拡大し、ボディ寸法では平成8年(1996年)9月に全長3.4m×全幅1.48m×全高2.0mとなり、現在に至っている。
こうした軽の歴史のなかで、スズキは常に中心的な存在であった。
その歩みについては、静岡県浜松市のスズキ本社に隣接するスズキ歴史館を訪れると肌感覚で理解できる。
また、2020年3月15日での創立100周年を記念して開設された、スズキ100周年記念サイトでも、スズキ100年の軌跡を追うことができる。
筆者がスズキと直接関係を持つようになったのは、鈴木修氏が社長に就任した頃からだ。
社長就任直後の1979年に「アルト」を市場導入。テレビCMでは「アルト47万円!」という当時として破格の新車価格を大々的にアピールした。
それまで商用車であり、男性向けのクルマというイメージが強かった軽自動車。それを主婦など女性をターゲットとした乗用車として商用バンで売るという一般常識を覆すような大仕事をスズキは成し遂げた。
その後、現在の軽普及に向けた転換期ともいえる「ワゴンR」が1993年に登場する。当時のデザイン担当者のひとりは「若い男性にもカッコいいと思ってもらえるようなデザインを目指した」と、商品コンセプトを回想する。
その後、軽市場はしばらくの間、スズキとダイハツの2強時代が続き、ハイトワゴン(トールワゴン系)からスーパーハイトワゴンへと戦いの舞台が拡大する。
さらに、2011年のホンダ「N-BOX」登場で軽市場の図式は大きく変わった。N-BOXは登録車を超えて、日本で最も売れるクルマに成長していく。
一方で、唯一無二の存在である「ジムニー」は2018年に20年ぶりにフルモデルチェンジし日本では軽規定を中心として、また海外では日本での登録車である「ジムニーシエラ」として、ジムニーのヘビーユーザーから、ジムニーの魅力に引き込まれたジムニー初心者まで、老若男女問わず幅広い層から絶大な人気を得ている。
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