トヨタのランドクルーザーは、1951年8月の初代モデル登場以来、優れたオフロード性能と、高い耐久性能による信頼性によって、70年にわたり世界中のファンから愛されている。
なぜここまで愛されるモデルに成長できたのか!? その魅力に再び迫っていく!
※本稿は2021年8月のものです
文/根本 純、桃田 健史 写真/TOYOTA、ベストカー編集部
初出:『ベストカー』2021年9月10日号
■なぜこれほどまでに世界で愛されるのか!?
出会いは1981年に日本人初のパリダカに挑戦した時。発売間もないガソリンのFJ60をKP61スターレットのサポートのために走らせた。まだ欧州にはランクル40しかなかったので大注目。タフな40はプライベート参加者とワークスや、バイクチームのサポートカーとしてすでに高いシェアを占めていた。
60の素晴らしさはVANとしてのスペースユーティリティとホイールベースを生かした直進性の高さ。
140hpのパワーで砂の抵抗による外乱もモノともせず、たくましく轍を刻み、サポートに貢献。最新の電動ウィンチ装備で、ほかの競技車も助けて活躍した。
一度大きくジャンプした際に前輪左右をつなぐリンケージが破損、溶接でも不安定な部分なので、40の部品を入手し、60との互換性はないのだが、基本構造と長さが近いので、ロッドエンドのサイズ違いをカサ増しして流用。こんなサバイバルができるのも、へき地では重要な要素だ。
ちなみに、この時の60はパワステもまだなかったが1982年のパリダカも完走し、カリーナでのクラス優勝に貢献した。
1988、1989年はランクル70。BJ74のディーゼルターボでの参戦。
60のトルクも凄かったがターボパワーに加えディーゼルの低速の粘りが数百もの砂丘越えをみごとに支え、ほとんどスタックせずその走破性の高さを見せつけた。
別の車種でリタイアした際、現地の古いランクル40にバッテリーを交換してもらったこともある。
違いを見たのは、同じく過酷に使われ古くなった時で、他車が錆びて床下から大地が見えるのに対して、40は腐りが少ないのだ。私のランクルでの完走率も10割だ。
ランクル100もJ・イクスの演出したモロッコの国際試乗会で試乗したが、悪路走破性に加えて高速操安性が飛躍的に向上していた。
55カ国走ってきたが、サハラだけでなく、世界の警察や軍、鉱山などが採用。万一に備える信頼を形にしたランクルは、世界基準の、まさに「陸の巡洋艦」なのだ。
(TEXT/根本 純)
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