『スター・ウォーズ』で有名監督の仲間入りを果たしたジョージ・ルーカス。そのルーカスがスター・ウォーズ以前に監督したのが、今回取り上げる『アメリカン・グラフィティ』だ。
車と音楽が主役ともいわれる本作には、実に多様なクルマが懐かしいロックンロールと共に場面を彩っている。60年代のティーンエイジャーたちの一夜の出来事を描く『アメリカン・グラフィティ』をご紹介!
文/渡辺麻紀、写真/ユニバーサルスタジオ
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■ティーンエイジャーたちの故郷での一夜を描く
以前ご紹介した『タッカー』(88)は、監督フランシス・フォード・コッポラ、製作ジョージ・ルーカスによる、実在した自動車メーカー、タッカー社の創立者プレストン・トマス・タッカーの半生を描く伝記映画だった。
今回は、それ以前にふたりが組んでいたもう1本の車映画『アメリカン・グラフィティ』(73)を紹介したいと思う。本作では役割が異なり、監督はルーカス、コッポラが製作に回っている。
『アメグラ』という愛称でも呼ばれる本作の舞台は1962年、ルーカスが青春時代を過ごしたカリフォルニア州の小さな町、モデスト。高校を卒業し、将来の道を決めかねているティーンエイジャーたちの故郷での一夜を描いた作品で、全編を通して当時のヒット曲が40曲以上も流れている。
お馴染みの『ロック・アラウンド・ザ・ロック』や『煙が目にしみる』、『ジョニー・B・グッド』等の曲は全部、大人気の地元のDJウルフマン・ジャックがラジオで流すという設定。その曲に気分を乗せるのは、出会いを求め、別れを惜しんで夜の町を愛車で流す若者たちだ。
つまり、ロックンロールと車という青春映画の最強のコンビネーションが本作の大きな魅力になっているのだ。
そもそもルーカスは若い頃から大の車好きだった。子どもの頃、夢見ていたのは映画監督ではなくカーレーサーのほう。それもフォーミュラのレーシングドライバーに憧れていた。
彼が免許を取ったのは、アメリカで免許を取れる年齢15歳になってすぐ。息子の車への熱狂ぶりを心配した父親が先手を打って買ってあげたのが、ルーカス曰く「ミシンのモーターで走っているくらい」の二気筒エンジンのアウトビアンキ・ビアンキ―ナ。
小さな車なので無理はしないだろうという親心だったのだが、ルーカスはそれを無視して、ルーフを取り除き、ウィンドスクリーンとロールバーを取りつけてスポーツカー仕様に改造して乗り回していたという。
ところが18歳のときルーカスはこの車で大事故を経験したが、九死に一生を得た。そのおかげでレーサーの道を諦めて映画監督となり、本作ののちに『スター・ウォーズ』(1977)を発表、大成功を収めることになったのだ。
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