初代が世に送り出されてから四半世紀以上が経ち、昨年11月、日本での6代目の発売が開始されたスバル レガシィアウトバック。
ステーションワゴンのボディにSUVのエッセンスを加えた独特なスタイリングと高い走行性能は、フォルクスワーゲンやアウディなど多くの輸入車メーカーにそのあとを追随させるほどの大きな影響を与えた。
そこで、レガシィアウトバックは長い歴史のなかでどのような変遷を辿ってきたのか?
さらに、ステーションワゴンと4WDの老舗であるスバルが仕立てた最新のアウトバックはどんな仕上がりなのか? その歴史と新型の実力について見ていく。
文/渡辺敏史、写真/スバル
【画像ギャラリー】クロスオーバーSUVの元祖的存在! アウトバックの歴史と進化をギャラリーでチェック!!(19枚)画像ギャラリー■北米市場でなぜアウトバックが支持されるのか?
スバルが北米市場に参入したの1968年のこと。初めて太平洋を渡った車種は驚くことに軽自動車のスバル360……をベースに欧米輸出を念頭に置いたマイアだという。
動力性能確保のため423ccに拡大した排気量をなぞらえて、マイアはスバル450として日本でも発売されたが、高額な自動車税に阻まれて鳴かず飛ばず。後のスバル1000で登録車メーカーとしてその頭角を表すことになる。
それから半世紀余の時が流れ、今や北米はスバルの最大のお得意様だ。コロナ禍以前の数字をみれば、年間販売台数の約7割を彼の地が占めている。
特に21世紀以降は現地の需要がじわじわと膨らみ始め、その機を巧く捉えたスバル側の経営戦略によって加速度的に数字を高めてきた。
北米でスバルがなぜ支持を集めるのか。背景のひとつに考えられるのが、近年の気候変動による降雪地域の増加と、それに伴う四駆需要の拡大が挙げられる。
カナダは言うに及ばずだが、アメリカでも大都市を擁する東海岸や西海岸が冬季は頻繁に大雪に見舞われるようになり、ここ10年くらいの間で普通のセダンでさえ四駆がなければ商売にならないという市場に変貌してきた。
こういう地域は皆が皆、巨大なSUVを転がせる住環境ではないのはお察しのとおりだ。
そして、適切なサイズで実用性や信頼性が高く、トータルコストも安い高性能な四駆……と、そのニーズにドンズバで食い込んだのがスバルのクルマだったというのもまたお察しのとおり。
そこでスバルは意欲的な商品企画を展開した。
■北米重視へ舵を切ったアウトバック
それを象徴するのが全長で95mm、全幅で50mmとそれまでに対して車格を大幅に拡大した5代目レガシィだろう。
サイズアップはすでに現地でも生産されるほどの手堅い需要があった北米市場の要望だったわけだが、いっぽうでそれは適切なサイズ感を支持していた日本市場にとっては逆風的な決断でもあった。
それをなんとか追い風に変えることができたのは、アイサイトの搭載と認知が大きかったはずだ。
5代目の成功を受けて、スバルは日本市場向けのレガシィのニーズをWRXとレヴォーグの両モデルに振り分けることを決断。レガシィはさらなるサイズアップを図り、北米重視の色合いを強めていく。
と、この一連の過程で頭角を現してきたのがアウトバックというわけだ。
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