このクルマ、イラストなり写真を見て「これどこのクルマ?」、さらにイタリア辺りのクーペと思った緒賢は正しいセンスの持ち主、といえるかもしれない。これが佳き時代の日本車だと知ったら、少しばかりの衝撃ではないだろうか。
もう知る人も少なくなったかもしれないが、日本車の歴史上ちょっとした足跡を残す一台といえるスタイリッシュなクーペである。マツダ・ルーチェ・ロータリークーペと長い名前を出すより、RX87と呼べば解る人には解る名車のひとつだ。
文、写真/いのうえ・こーいち
■4ドア・サルーンのルーチェ
マツダ・ルーチェは1966年8月に発売された、マツダの乗用車構想のトップエンドに位置するモデルであった。つまり、「軽」のマツダR360クーペにはじまり、キャロル、ファミリアと積み上げていった乗用車展開に、ひとつの到達点のようにして加えられたのがルーチェ。
1.5L級、4ドア・サルーンの登場は、マツダもいよいよここまでやってきたか、という印象を人びとに与えたのだった。
そればかりか、一方では世界に先駆けて実用化を目指していたロータリー・エンジンの開発が大詰めに近くなっており、マツダの名は世界にも轟こうとしていた。
2シーターのスポーツカーのマツダ・コスモ・スポーツの発売が1967年5月、つづいてモデルチェンジしたファミリアにロータリー・クーペを加えたのが1968年7月。立てつづけの躍進は大きな注目を集めたものだ。
話をルーチェ・サルーンに戻すと、トヨタはコロナ、ニッサンはブルーバード、いすゞはベレットと主力モデルがひしめくマーケットに投入されたルーチェ最大のセリングポイントはそのボディ・スタイリングであった。
イタリアのカロッツェリア・ベルトーネによって形づくられたスタイリングは、ライヴァルたちに較べてもひと際垢抜けたものであった。
大きなグラスエリア、フラットなルーフ、立体的で美しいフロントグリルなど、いま見ても新鮮に見える。当時のベルトーネのチーフ・デザイナー、ジウジアーロの傑作のひとつと賞されるものだ。
■イタリアン・スタイル+ロータリー
見ようによってはルーチェのクーペ・ヴァージョンということで納得されてしまうかもしれないが、じつはルーチェ ロータリー・クーぺは、いくつもの試みというか、意欲的なメカニズム、コンセプトが込められていた。
1967年の第14回、翌年の第15回の東京モーター・ショウに展示され、そのときのネーミングがRX87。ちなみにファミリア ロータリー・クーペはRX85であった。
ショウモデルはほとんど同じような雰囲気を備えており、かなり完成形に近いものに仕上がっていた。
ダイナミックなフロント周り、シンプルなリアの処理などはルーチェ・サルーンに似るが、三角窓も取り払われたハードトップのサイド・ウィンドウ、当時の流行を思わせるレザートップのルーフ部分などは、サルーンの軽快な印象とは打って変わって堂々たる重厚感さえ感じさせた。
というのも、発売されてみればルーチェ・サルーンの3倍になろうかというプライスタグが下げられ、同じモーター・ショウに飾られたいすゞ117クーペと好一対の高級パーソナル・クーペという性格が与えられていたのである。
そのために用意された一番の「宝もの」が新開発のロータリー・エンジン。あのコスモ・スポーツなどのA10型よりもひと回り大きな13A型と呼ばれる、655ccの2ローター、126PSというパワーの持ち主、であった。そのパワーの数値だけでなく、いくつもの意欲が込められていたのである。
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