クルマと道路は切っても切り離せないもの。だから全ドライバーはもっと道路について知っておかねばならない。自動車評論家でありながら、交通ジャーナリストでもある清水草一が、最新の道路情報や、知っておくべき道路の知識をわかりやすく解説する当コーナー。今回は、先日お伝えした首都高大師橋工事のその後と、架け替えが必要だった理由について解説する。
文/清水草一、写真/清水草一、首都高速道路株式会社
メイン空撮写真:首都高速道路株式会社(撮影:共映)
■大師橋より古い橋が今も健在?
首都高は、高速大師橋架け替えのため、1号羽田線を5月27日から2週間通行止めを行ったが、6月10日に完成し、通行止めも終了となった。5月29日には、下流側に待機していた新しい橋の移動を取材したが、全長300mもの巨大な鋼鉄製の構造物が、油圧ジャッキで正確に移動していく様子に圧倒された。
通常、橋の架け替えは、仮橋を設置して交通を確保したうえで、数年かけて行うが、高速大師橋は仮橋の設置が不可能だったため、わずか2週間の通行止めで架け替えるという、世界でもあまり例がない工法が取られた。そのぶん費用は膨らむが、数年も通行止めにしたら、首都圏の交通は長期にわたって混乱してしまう。やむを得ない投資である。
撤去された旧・高速大師橋は、1200か所もの亀裂が発生し、55年間で役目を終えることになったが、新・高速大師橋は強度を大幅に上げ、100年はもつ構造にしたという。では旧・高速大師橋は、どれくらいの耐用年数で造られたのかという疑問が湧くが、55年も前のことなので、首都高には当時のことを知る技術者が残っていない。
時代は高度成長期。自動車の急激な増加によって、東京・横浜の道路はパンク状態で、一刻も早い首都高の完成が望まれていた。よって、道路構造令などの法令に合わせつつ、なるべく早く安く造ることが至上命題で、「いいものを造って長く使う」と考える余裕はなかったようだ。
もちろん粗製乱造したわけではないが、首都高の交通量がこれほど増加するとは予測できず、結果的に強度が足りなかった。東京には、高速大師橋よりはるかに古い橋がいくつか残っている。隅田川にかかる清洲橋や永代橋などがそうだ。昭和初期の完成なので、100年前後経つが、まったく健在だ。
大正時代までは、隅田川にかかっていた橋の多くが木製だったため、関東大震災で焼失。避難路が絶たれ、犠牲者を増大させた。その反省から、災害に備えて耐久性の高い贅沢な設計にしたことが功を奏した。
逆に高度成長期は、目先の渋滞解消が先決だったため、耐久性には重きが置かれなかった。現在、日本中の高速道路で老朽化が問題になっているのは、想定以上の交通量の増大に加えて、耐久性に余裕がなかったことが原因と言えるだろう。
コメント
コメントの使い方通行料金を永久に取り続ける為に
順次老朽化した所を修繕するでしょうね。