GRヤリスで全日本ラリーを戦う「TGR-WRJ(TOYOTA GAZOO Racing 全日本ラリー選手権チーム)」が、海の向こうオーストラリアでのラリーに挑んだ。手痛いアクシデントに見舞われ、一時は絶望的状況に置かれながらも、チームはどうやって立ち直り、ゴールを手にしたのか。一挙一動を現場テント、そしてSSから見守り続けた山本シンヤ氏がレポートする!
文:山本シンヤ/写真:山本シンヤ、トヨタ自動車
■オーストラリアはトヨタがモータースポーツに初参戦した土地
全日本ラリー選手権をトヨタの社員メンバー(監督・エンジニア・メカニック)で戦う「TGR-WRJ」がオーストラリアのラリーに挑戦した。
その目的は、リリースを見ると「各地域のラリーを現地現物で学び、交流を深め、国内ラリーの更なる盛り上げに繋げるため、TOYOTA GAZOO Racing Australia(TGRA)とNeal Bates Motorsport(NBM)と相互交流」とあるが、その根底は「全日本ラリーで鍛えられてきたGRヤリス、そして社内のメンバーが世界の道で通用するのか?」、更に言うと「世界の道が人とクルマを鍛える」のラリー版の実践編と言っていいだろう。
なぜ、オーストラリアが選ばれたのか? 実はトヨタとオーストラリアの関係は昔から深い。トヨタのモータースポーツ参戦はここオーストラリアが初なのだ。
1957年に走行全距離1万マイルと言う世界最長の自動車競技で当時最も過酷と言われた「豪州1周モービルガス・ラリー」に、トヨペット・クラウンで参戦。当時は日本とオーストラリアとの国交が再開されたばかりで、このラリーは日豪親善民間外交の一端も担っていたと言う。
参加台数102台中50台がリタイヤと言う過酷なステージながらも完走を遂げたが、実は車両点検から修理に至るまで全部を選手(トヨタ自販サービス部:近藤幸次郎/東京トヨペット;神之村邦夫)が行ない、トヨタの技術を世界的に証明した。
あれから67年、社員メンバーで構成されるTGR-WRJがオーストラリアのラリーに参戦を行なう。個人的には何とも感慨深い。
■グラベルの本場でさまざまなこと学ぶ
今回参加したラリーはオーストラリア・ラリー選手権(ARC)第4戦「ギップスランドラリー」だ。このラリーは硬い地盤に細かい砂が乗った高速コーナー、ぬたぬたのダート、川渡りもあるアップダウンの多い曲がりくねった道、更にはダートトラックなどなど、まさに「グラベル(未舗装路)のフルコース」。当然日本のラリーには無い道ばかりである。
マシンはJP4仕様(市販車ベースながらも改造範囲がかなり広い……かつてのグループAに近い)のGRヤリス。これまで日本で約150㎞のテストを行ない調整してきたと言うが、「道が変わるとどうなのか?」である。
今回、TGR-WRJからは豊岡悟志チーム監督に加えて3名のメカニック(何と2人は今回が初海外!!)を派遣。加えて、TGRA(TOYOTA GAZOO Racing Australia)とオーストラリアのラリーレジェンド、ニール・ベイツ氏率いるNBM(Neal Bates Motorsport)がサポートを行なう日豪混成チームである。
豊岡監督は「我々はこれまで全日本ラリーに参戦してきましたが、『世界の色々な“道”、“場所”でチャレンジしたい』と言う想いがありました。GRヤリスはこれまでフィンランドやニュルブルクリンクで鍛えてきましたが、グラベルの本場であるオーストラリアでどうなのか? この挑戦を通じて色々な事を吸収して学びたいと思っています」と語る。
ドライバーは2024年全日本ラリー選手権のJN2クラス内で行なわれている「MORIZO Challenge Cup(モリチャレ)」に参戦する大竹直生選手、コドライバーは第4/5戦でタッグを組んだベテラン竹藪英樹選手が担当。豊岡監督は「誤解ないように言いますが、ドライバーの経験値ではなくチームの経験値を上げる事が目的です」とキッパリ語る。とはいえ、彼らにとっても学びのチャンスなのは間違いないだろう。
コメント
コメントの使い方ドライバー育成が目的ではなくチーム全体が第一とは言いつつ、フィジカルトレーニングや食生活、動体視力を落とさない方法などまで個別に対応してると聞きました。育成ドライバーにとって最高と言える環境。
こういったやり方が今はSNS等で共有化され、他環境でも負けていられない!と変革に繋がり、若手ラリースト全体の底上げにつながっていくと思います。