かつては東急グループの事業者だった「群馬バス」の平成初期

かつては東急グループの事業者だった「群馬バス」の平成初期

 群馬バスも平成期に大きな揺籃期を迎えた事業者だ。現在の群馬バスは2001(平成13)年に設立された新会社で、平成前期に営業していた(旧)群馬バスは同年バス事業を(新)群馬バスに譲渡した上で、2005(平成17)年に解散した。今回は、当時東急グルーブであった(旧)群馬バスの様子を紹介しよう。

(記事の内容は、2024年1月現在のものです)
文・写真/石鎚 翼
※2024年1月発売《バスマガジンvol.123》『平成初期のバスを振り返る』より

■東急グループ標準塗装が基本だが旧塗装をアレンジした車両も

いすゞ BU10。北村ボディの特徴でもあった丸みを帯びた車体を架装した車両。箕郷営業所の大型車では主力の一角として活躍した。大型の側面行先表示機も群馬バスの特徴であった
いすゞ BU10。北村ボディの特徴でもあった丸みを帯びた車体を架装した車両。箕郷営業所の大型車では主力の一角として活躍した。大型の側面行先表示機も群馬バスの特徴であった

 群馬県は全国でも有数の自動車普及率を誇り、昭和50年代から平成期にかけて、多くの路線の廃止が進んでいた。群馬バスもこの波には抗えず、多くの路線で廃止や減便が進んでいた。それでも主力であった高崎~室田~榛名湖方面や、高崎~箕郷間は比較的多くの便が設定され、大型車が中心の陣容であった。

 車両は一般路線用車両には国内4メーカーが採用されていたが、いすゞ、日野製の採用が多く、室田営業所は日野製、箕郷営業所はいすゞ・日産ディーゼル製が中心に導入された。

 いすゞ製は、関東地方では比較的珍しく北村製作所製のボディが採用され、大型車・中型車双方に架装された。また、後部ドアの下部をガラスとしたり、側面行先表示機を側窓の天地サイズいっぱいとするなど、こだわりのある仕様も採用されていた。

 乗降用ドアは前後ドアを基本としていたが、短尺中型車では前中ドア車も導入された。現在は経年車の淘汰と低床化によって前中ドアが中心の陣容となっている。また、高崎~榛名湖線などには、日野RC系やHT3K系など、高出力エンジンを搭載した車両も採用され、一般路線用とは仕様に差があった時代もあった。

いすゞ K-CDM410。北村製作所が中型バス用に製造した車体で、直線的な構成が特徴。導入例はあまり多くはない車体だ。群馬バスでは前中ドア仕様の短尺車、K-CCM370も導入された
いすゞ K-CDM410。北村製作所が中型バス用に製造した車体で、直線的な構成が特徴。導入例はあまり多くはない車体だ。群馬バスでは前中ドア仕様の短尺車、K-CCM370も導入された

 中古バスも導入され、当時は主に京阪バスから大型路線車両が転入していた。京阪バスの日野製車両は、かつて金産自動車工業製車体を採用していた。

 金産自動車工業は1975(昭和50)年に帝国自動車工業と合併して日野車体工業となるが、群馬バスの自社発注車は帝国自動車工業製車体を架装していたため、図らずも日野車体工業の前身2社が群馬で顔を合わせていた。

 車両の塗装は東急グループ標準の銀地に赤帯の塗装であるが、平成前期には裾部を青とした東急の旧塗装を若干アレンジ(白の細帯が入り、裾部の青が直線となる)したオリジナル塗装の車両も活躍していた。

 なお、貸切車も東急グループ共通塗装を採用していたが、スーパーハイデッカ車導入に合わせ、金・赤というコンセプトカラーは踏襲しつつ、独自デザインの車両も導入された。

 現在の群馬バスは前述のように東急グループを離れ、新たなスタートを切っているが、バスの塗装にはかつての東急グループ旧カラーを想起させる裾部を青とした車両もあり、懐かしさを感じる人も多かろう。

【画像ギャラリー】一般の乗客から見たら同じ「群馬バス」だけど……新会社に事業譲渡し解散した旧群馬バスの懐かしい車両(10枚)画像ギャラリー

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