世情が不安定だと何かにすがりたくなるのは古今東西変わらないようだ。みんな大好きパワースポット巡りは、お守りや御朱印集めからスタートするのもいいだろう。パワーを必要とする皆様のために、路線バスで行くパワースポットをバスマガジンWEBのオリジナル連載で紹介する。
文/写真:東出真
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
(詳細写真は記事末尾の画像ギャラリーからご覧いただくか、写真付き記事はバスマガジンWEBまたはベストカーWEBでご覧ください)
■変わった社号の尾曳稲荷神社
雑誌やSNS界隈で有名だからと言ってそれが万人にパワースポットかどうかはわからない。自分のパワースポットは自分で探すしかない。果てしない旅のようだが、きっと「感じる」ものがあるはずだ。それが見つかれば同じ神様を主祭神とする最寄りの神社や、同じ仏様を本尊とする寺院を訪ねるのもいい方法といえる。
大都市であれば鉄道駅や地下鉄駅から徒歩で行けるスポットも多いが、もし路線バスの停留所が近ければ徒歩が少ないという意味で紹介する。またどんな理由で取り上げたのかも記者の感想や体験として本文中で触れる。バスマガジンWEBオリジナル「【バスに乗ってパワースポットへ】あなたのパワースポットを見つけよう!」にご期待いただきたい。
今回は群馬県館林市にある尾曳稲荷神社である。館林市は群馬県の東南部に位置し北側は栃木県、南側にある利根川を越えると埼玉県だ。城沼、多々良沼、近藤沼や茂林寺沼といった多くの池沼が点在しており、そこに集まる動植物など自然の風景に触れることができる。
■城を守る尾曳稲荷神社
人里近くにあることから人々の暮らしと深い結びつきがあり、この環境から文化が育まれた「里沼」とも言われる。令和元年にはこの「里沼」が日本遺産に認定されたことから沼辺文化を広くPRしている。首都圏からは鉄道で約1時間とアクセスがよく、比較的気軽に訪れることのできるエリアだろう。
そんな館林市の中央部に「城沼」と言われる大きな沼が広がっている。かつてはここには館林城があり自然の環境を利用し天然の要害となっていた。城沼の周辺はつつじが岡公園があり100を超える品種、約1万株のつつじが咲き誇り、シーズンには多くの観光客が訪れる。その畔にあるのが今回紹介する尾曳稲荷神社である。
駅前からバスで7分ほど「子ども科学館前」バス停で降りると緑に囲まれた自然あふれる風景が広がっている。そこからしばらく歩くと神社の駐車場が見えてくる。この日は月2回開催している骨董市が境内で開催されていて多くの人が集まっていた。
■神使のキツネが尾を曳いて築城地を示した!
境内に入る通路の横に赤い鳥居がいくつも並ぶ参道が確認できた。朱塗りの鳥居は稲荷神社最大の特徴だ。さらに進むと正面に神社が見えてくる。尾曳稲荷神社は天文元年(1532年) 尾曳城(後の館林城) 城主・赤井照光が城の鬼門にあたる稲荷郭の地に守護神として創始された。稲荷神社というと狐が思い浮かぶが、ここにも狐の築城伝説というのが残っている。
当時城沼南岸にあった大袋城の城主であった赤井山城守照光は、年賀の途次童子らに捕らえられた子狐を救った。その夜更け老翁が顕れ、子狐が助けられた礼を述べ、館林が要害堅固の地と説き移転を奨めて姿を消した。そしてその年の七夕の夜、老狐が顕れ尾を曳いて城郭の縄張りを先導して夜が明けた。
別れに際し「築城完成の院は長く城の守護神に使えよう。私は稲荷の神使 新左衛門である」と言い姿を消した。照光はこれによって築城しこれを「尾曳城」と号し、城中に稲荷郭を設け、社殿を造営して奉祀したということである。稲荷神社なので主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、伏見稲荷大社の祭神と同じである。
稲荷神の使いである狐が顕現し、尾を曳いて城郭を示したという話もすごいのだが、尾曳稲荷神社は前述の通りお城の中に創建された。しかし話はもっと具体的で、夜の始まりとともに尾を曳き始めた地には宵稲荷神社が、そして夜が明けるときに尾を曳き終えた場所には夜明稲荷神社が現存している。