平成を代表する名車 日産R32スカイラインGT-Rが登場した時の衝撃

■あまりにもパワフルで自主規制!?

 R32系スカイラインは1989年5月に発表された。このときに型式BNR32を名乗るGT-Rもお披露目されている。

 エクステリアは専用デザインだ。225/50R16サイズのワイドなタイヤを収めるためにフェンダーの幅を広げ、リアはブリスター形状のワイドフェンダーとした。フロントマスクも専用デザインで、ボンネットとフェンダーはアルミ製としている。また、レースを意識してリアに大型スポイラーを装備した。

 エンジンは2568ccのRB26DETT型直列6気筒DOHC4バルブだ。グループAレースでラップタイムを縮めるために、排気量を予定していた2.4Lではなく2.6Lとし、過給機で武装した。

 セラミックタービンを組み込んだツインターボを装着し、6連スロットルチャンバーやシーケンシャル電子制御燃料噴射システムなども採用する。最高出力は280ps/6800rpm、最大トルクは36.0kgm/4400rpmだった。

 トランスミッションは大容量の5速MTを組み合わせている。

平成を代表する名車 日産R32スカイラインGT-Rが登場した時の衝撃
R32スカイラインGT-Rのエンジンルーム。「平成」を代表する名エンジン、RB26DETT

 ご存じのように、あまりにもパワフルだったため、これ以降は280psの自主規制値が設けられた。

 駆動方式はスカイライン初のスポーツ4WDである。それも革新的な電子制御トルクスプリット4WD「アテーサE-TS」を組み込んだ。

 サスペンションも時代を先取りしたマルチリンクを4輪に採用。これにトーコントロールシステムのスーパーHICASを組み合わせ、路面にかかわらず卓越したフットワークと軽快なハンドリングを実現している。

■予想以上のオーダーで売れ行き好調

 GT-Rは5速MT車だけの1グレードで、販売価格は445万円だった。

 基準車と同時にベールを脱ぎ、縦長のパンフレットも配られた。だから8月21日に発売されるまでの3カ月間、多くの人がプリンス店へ足を運んだ。

 クルマの仕上がりとパフォーマンスを考えればバーゲンプライスだったし、GT-Rの復活ということで多くの人が興味を持った。スペックにひかれて契約する人も多かったが、他メーカーのスポーツモデルに乗っている人の乗り換えも少なくなかったようだ。

 日産が予想した以上に多くの人が販売ディーラーを訪ねたようで、オーダーが殺到して同年内に納車させることは難しかった。自動車専門誌のインプレッション記事を読んでからオーダーした人は年明け以降の納車となっている。

 1990年3月、レース参戦のためのベース車両、GT-Rニスモを限定500台発売した。レース関係者以外も食指を動かしたので、これもアッと言う間に完売となる。

 91年8月にプロジェクター・ヘッドランプの光量を増やし、ドアの内側にサイドドア・インパクトビームを組み込み、N1レース仕様も発売した。これも順調に売れている。

■走りにこだわる人のためのVスペック

 初のマイナーチェンジは1993年2月だ。クラッチや5速MTのシンクロ機構を改良し、信頼性を高めた。また、オプションで運転席SRSエアバッグも選べるようになる。

 このときにグループAレース3連覇を記念して、ブレンボ製のブレーキシステムや225/50R17サイズのスポーツタイヤ、BBS製の鍛造アルミホイールなどを装備した「Vスペック」を投入した。

 同年夏に9代目のR33系スカイラインのデビューが決まっていたが、走りにこだわる人たちは迷うことなく500万円を軽く超えるVスペックを選んだ。1年間で1400台を超えるVスペックがオーナーの元に渡ったのだから驚かされる。

平成を代表する名車 日産R32スカイラインGT-Rが登場した時の衝撃
レースで勝つために生まれたR32スカイラインGT-Rは、正式発表から32年たった今でも色あせていない

 ファイナルバージョンとして245/45ZR17サイズのBSポテンザRE010を履くVスペックIIを投入したのは1994年2月だった。

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