■プリンス自動車と日産の合併
こうしてスカイラインはスポーツ性の高いモデルとして多くの人に認識されます。
しかし、プリンス自動車は経営危機に陥り1966年に日産と合併します。
合併後もスカイラインは生産が続けられ、1968年にはスカイラインGT-R(PGC10、ハコスカ)を発売、1973年には前出のケンメリGT-Rを発売します。
石油ショックなどのあおりを受けGT-Rはいったん発売が停止しますが、その間もターボモデルやRS、GTS-Tなどのスポーツ性の高いモデルを投入。
1989年にBNR32でスカイラインGT-Rは復活、2002年のBNR34まで3世代が生産されスカイラインGT-Rはその歴史を閉じ、GT-Rは日産GT-Rという独立したモデルになりました。GT-Rを失ったスカイラインですが、その後も代は重ねられ、最新は2013年に登場したV37型となっています。
■「スカイライン伝説」に共感者多数!
さて、前置きがかなり長くなりましたが、スカイラインは純粋な日産車ではなくプリンス自動車から継承したモデルでした。
このため、旧プリンス関係者からは非常に愛されたモデルでしたが、一方、純日産勢からは売れはするものの旧プリンスの栄光を象徴する存在として疎まれることもあったようです。
しかし、ビジネスとして売れるモデルを否定することは会社経営として愚の骨頂でしかありませんので、日産は上手にスカイラインを売ってきました。1973年の「ケンメリ=ケンとメリーのスカイライン」に代表されるようなイメージ広告戦略も非常にうまくいっていました。
スカイラインが売れた背景には第2回日本グランプリでの活躍に始まるいわゆる「スカイライン伝説」が大きく関わってきているのは間違いありません。「ガイシャに勝てる国産の血統を持ったクルマ」に、多くの人が共感していたのです。
オイルショックによりスカイラインGT-Rが消えたあとも、世の中はスカイラインGT-Rの復活を望みました。そして1989年に復活したときの熱狂的な雰囲気は今も忘れない出来事です。
■スカイライン不振は何故起きたのか..
スカイラインの販売のけん引役はGT-Rに代表されるスポーツモデルだったのです。
スポーツモデルがトップ・オブ・トップに存在していてのスカイラインです。あこがれのGT-Rが頂点にあるが、GT-Rにはとても手が出ない、でもGT-Rと同じスカイラインの名が冠され、GT-Rと共通点のあるスカイラインに乗ることでGT-Rの気持ちを味わおうという気持ちがあったはずです。
R32以降のスカイラインGT-Rは、ノーマルのスカイラインとはずいぶんデザインが変わってしまっていますが、ハコスカやケンメリの時代はGT-RではないモデルをGT-R風にドレスアップすることも流行しました。
しかし、現在のGT-Rは日産のフラッグシップスポーツモデルとなってしまったので、スカイラインにGT-Rのイメージを見出す人は少ないでしょう。
これがスカイライン不振のひとつの理由だと私は考えます。もちろん、世間の流れがセダンや2ドアハードトップから離れてしまっているという根本的な土壌があることが、この流れにさらに拍車を掛けているでしょう。
仮定の話をしてもしかたありませんが、GT-Rをスカイラインの頂点に据えておいたら、スカイラインの販売はもう少し伸びたかもしれません。
日産GT-Rはたしかに素晴らしいクルマなのですが、価格がどんどん上がってしまってもはや庶民の手が届く存在ではありません。中古なら買えるかもしれない、出世すれば買えるかもしれないというスカイラインGT-Rから、成功者でなければ買えない日産GT-R(デビュー時はそれほどでもなかったのですが)になってしまったのはじつに悲しいことです。
そして、日産GT-Rには日産GT-Rが素晴らしいクルマだから、日産車を買おう……というフラッグシップスポーツが本来持つべき役割を果たしてない気がします。
GT-Rもすでに発表から13年以上を経過、存続するのか? フルモデルチェンジするのか? さまざまな声が聞かれます。しかし、今後のことを考えればGT-Rはふたたびスカイラインのトップに据えるべきクルマにすべきだと私は思います。
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