■知恵と工夫を凝らして開発された初代オデッセイ
オデッセイは「走り」も冴えていた。ワゴンのように軽快感を味わうことができ、後席でも優れた乗り心地を実現している。
だから、その場で購入を決め、オーダーした。そしてホンダの開発陣に、「オデッセイは大ヒットしますよ。販売不振で苦境に立っていたホンダの救世主になります」と言ったのである。
当時はセダンやスポーティカーが主流で、ミニバンは一部のファミリー層にしか評価されていなかった。それでもオデッセイは次のセダンのプレミアムセダンだと確信した。だから価格がいくらになるかも知らずに迷わずオーダーしたのである。
この時期のミニバンのほとんどでは、商用の1BOXを母体に設計されていた。エンジニアも多くは商業車の担当だった。バネットから進化したセレナやラルゴ、デリカを発展させたスペースギア、そして初代エスティマさえも、開発したのは商用車系のエンジニアだったのである。
エンジンは、前席の下にあるのが一般的だった。駆動方式は、後輪を駆動するFRが主流で、エスティマはアンダーフロア・ミッドシップだ。
だが、背の高いミニバンを持っていなかったホンダは、乗用車系のエンジニアやデザイナーでオデッセイを開発するしか方法はなかったのだ。
また、設備投資を抑えるために乗用車の生産ラインを使ったから、背の高さ1700mm以下に抑えている。知恵を絞り、生産にも工夫を凝らして開発したのが初代オデッセイだった。
■ミニバンにふさわしい広さと優れた乗り心地
もちろん、オデッセイより前にも乗用車から派生したマルチパーパスカーは存在した。ボンネットの中にエンジンを収めたプレーリーやシャリオがその代表だ。軽快な走りを見せ、快適だったが、3列目の居住性や室内高は物足りなかった。
ホンダのエンジニアは、この弱点を克服し、ミニバンにふさわしい広さを手に入れている。これが功を奏し、背の高いミニバンを好むファミリー層や気持ちいい走りにこだわるワゴン派を取り込むことに成功したのだ。
メカニズムで注目されるのは、アコードのプラットフォームとメカニズムを用いたことである。アコード用のプラットフォームを用いているからフロアも低く抑えられた。
全高は他社のミニバンより大幅に低い。
だが、前述したように、パッケージングに工夫を凝らし、快適なキャビンとラゲッジルームを実現した。
特徴のひとつは、後列にいくほど着座位置とフロアが高くなるシアターフロアを採用していることだ。オデッセイのデザインテーマはパーソナルジェットだったから、上級グレードには2列目をキャプテンシートとした6人乗り仕様が用意された。
初代オデッセイに搭載されたエンジンは、当時のアコードと同じ2.2Lの直列4気筒SOHC4バルブ(145ps/20.0kgm)だった。
トランスミッションは、コラムシフトの電子制御4速AT(プロスマテックタイプII)を採用。駆動方式は前輪駆動の2WDとデュアルポンプ式リアルタイム4WDを設定した。
サスペンションは、ミニバンのリアがリジッドアクスルだった時代に、画期的な4輪ダブルウィッシュボーンだ。軽やかに回る4気筒エンジンと爽快なハンドリング、優れた乗り心地は他のミニバンに大きく差をつけているところである。
■97年頃は王者クラウンを退けてトップに立ったほどの人気車だった
もうひとつの注目装備が、時代を先取りしたナビゲーションシステムだった。1996年にはハイルーフ形状のサンシャインルーフを、これに続いて2名が寝られるポップアップルーフを装着したフィールドデッキも仲間に加えた。
そして97年8月のマイナーチェンジで2.3LのVTECエンジンに換装し、10月には3LのV型6気筒VTECエンジンを積むプレステージを投入する。
ワイドバリエーションを完成させたオデッセイは、日本国内だけで42万台を超える販売を記録した。この頃、3ナンバー普通車のなかでも、王者のクラウンを退けてトップに躍り出ている。
オデッセイは1999年12月に初めてのモデルチェンジを行い、日本専用モデルと割り切った2代目オデッセイが登場した。
これ以降、モデルチェンジを繰り返しながら、微妙にパッケージングを変えて現在に至っている。
だが、2代目以降は初代ほどの売れ行きを見せていない。2代目以降は、初代ほどの衝撃も魅力もないからだ。走りはスポーティだが、乗り心地などの快適性は今一歩である。それでいて価格は高い。それなら高級ミニバンとひと目で分かり、キャビンも広いアルファード/ヴェルファイアを買うだろう。
コメント
コメントの使い方