先代が偉大すぎたゆえの迷走&伸び悩みに苦しんだ「マークX」
2004年11月、ミドルサイズセダン、マークIIの後継車種として登場したのがマークXだ。マークIIの最終型、9代目の販売台数は落ち込んでいたものの、それでもマークIIの名は偉大。「あんな名車をなぜ消滅させちゃうの!?」と当時は大騒ぎだった。
初代は、クラウンと同じ3リッターと2.5リッターのGR系V型6気筒DOHCエンジンを搭載、シャシーもクラウンと同様のものが採用された。車格的にはマークIIよりもグレードアップしたかたちだ。当初の販売台数は月に2500~3500台程度と、セダンとしてはかなりの合格点だった。
しかし、徐々に販売台数は減り始め、2009年10月にデビューした2代目では、マークII時代のスポーティグレードであるツアラーシリーズに相当するスポーツタイプの他に、G’s、GR SPORT、6速MT、AT設定なしのGRMNを発売するなど、走りを追求したグレードでテコ入れを図ったりしたものの、先代を凌駕するほどの販売台数には至らず。
これといった明確な失敗の原因が見当たらないと思われるマークXだが、クラウンのユーザー層と被ることになったうえ、クラウンもアスリートなどのスポーツ仕様を発表したことで、ますますクラウンとの差別化が図れなくなり、ユーザーが混乱したという可能性も。
さらに追い打ちをかけるようにレクサスブランドも登場し、他モデルにはハイブリッドなどが追加されるなどの動きがあったにもかかわらず、マークXにはそういった動きはなし。このように、販売台数の伸びが期待できる動きがゼロに近い状態になったことも生産終了に追い込まれた原因と考えられる。
そして遂に、2019年12月23日、1968年から続いたマークIIの血統は途絶えることとなった。
コペン大成功の陰に隠れた、ダイハツの黒歴史「ダイハツ・リーザ スパイダー」
平成ABCトリオに負けじとダイハツも1992年11月に軽オープンカー、リーザ スパイダーをリリース。鳴り物入りだったか問われると何とも言えないところだが、軽オープンカーの分野に食い込みたいという想いを持っていたダイハツにとっては、鳴り物入りだったに違いないのだ。
そのわりに、こちらは平成ABCトリオとは異なり、専用設計ではなく、既存の3ドアハッチバック、リーザをベースにしたクルマだった。
64psを発生する直列3気筒SOHCターボエンジンを搭載し、走行性能としては軽快な走り心地で及第点だったが、大問題だったのは改造車扱いだったことだ。リーザのルーフをカットして、まさしく”改造されただけ”のオープンカーという異例のクルマだったのだ。当然、改造車ということで新車登録は運輸支局へ持ち込むことが必須。これだけで購入には二の足を踏んでしまう条件として十分。
ということで、案の定、月販目標台数100台には到底届かず、トータルで380台という大惨敗。1年足らずで生産中止になるという、ダイハツ史上稀にみる失敗作となってしまった。
この激レア度でも中古車市場ではAZ-1のようなプレミア価格もついていないという、実に残念なクルマとなっている。
しかし、この失敗から奮起したダイハツは、リベンジとばかりに2002年6月に再び軽オープンカー、コペンを発売し、予想以上の大成功。2012年4月の生産終了まで、10年3カ月に渡るロングランモデルとなった。さらに、2014年6月にはコペン ローブ、11月にはコペン エクスプレイとして再登場。今に至っている。
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