■マクラーレンは成績不振の全てをホンダに押付けてルノー獲得に動いた
F1はロビーワークが必須だ。それは次のステップへ有利に物事を進めるための根回し・政治技術だ。2017年、マクラーレンはホンダの向上を望んでいなかったはずだ。なぜならば既にPUをルノーに変更することを念頭にこのシーズンを過ごしていたから……といったら言い過ぎだろうか。
ルノーを得るためにはアロンソという大きな武器があり、当時の状況ならマクラーレンの成績不振の全てをホンダに押付けても世間には通るはずだった。
鈴鹿というホンダにとって最も重要な舞台で、アロンソはレース中にあえて無線で「パワーがない、これではGP2だ!!」と叫んでいた。電気的な回生・出力制御の開発遅れで電気的出力不足が起因していたのは確かだが、それをあえて鈴鹿で叫んだのはマクラーレンがホンダとの契約解消の世間向けリファレンス、アロンソはマクラーレンのさらに先にルノーワークスを視野に入れての「台詞」であったといったら、これまた考え過ぎなのだろうか。
■F1最弱エンジンと呼ばれていたホンダと契約したのはトロロッソだった
ホンダはマクラーレンと袂を分かち、そのままF1撤退も考えられたが、このままで終るには忍びない……と考えたかどうかは知らないが、翌2018年からレッドブル傘下のトロロッソへの供給契約を結んだ。その裏に本体のレッドブルワークスへの供給を視野に入れて。
ここからホンダF1プロジェクトはマクラーレンとの3年間とは全く違う姿勢を打ち出してきた。第一にホンダのF1アタックメンバーの大幅変更だった。これまでは技術者の育成を謳い、新人や経験の少ないメンバーでやってきたが、ここではレースでのハードな経験者を多く集めてのホンダF1ワークスチーム作りが始まった。
初年度は「GP2」と叫ばれたエンジンのパフォーマンス開発ではなく、あらゆるパーツ、特にターボユニット、MGU-H、MGU-K、燃焼や動弁、ヘッド、エクゾースト……等々、全ての開発は徹底した信頼性確保を主軸に進められた。
この初期プロジェクトは功を奏し、第四期出発以来初めて強力な信頼性構築に成功した。
■徐々に力をつけていたホンダPUを搭載したレッドブルがついに優勝した
レッドブルはホンダPUのパフォーマンスに感銘を受け、翌年2019年にレッドブル本体への搭載を決め、その年の内に何と優勝を成し遂げてしまった。第一期は2勝、豪快な第二期を飛ばして第三期は1勝、そして第四期は挑戦5年目にして何と3勝を果たしてしまったのだ。
以後2020年はトップコンテンダーの一角を成し、第四期トロロッソからのセカンドスティントでの目標を達成するも、ホンダはF1撤退を発表。
これでホンダF1は全てのプロジェクトを前倒しにして、今年2021年には第四期初期の“サイズゼロ”に新たな挑戦を開始。全く新しく異様な程コンパクトなホンダPUは確たる信頼性を持ちながらも、パフォーマンスも大幅に向上、開発上限に迫ったメルセデスに詰め寄り、ついにメルセデスの上を行くまでに至った。
■終わりよければ全て良し。2021年レース終了をもってホンダはF1を撤退する
もちろんホンダだけでなく、レッドブルチームとドライバー軍団との三位一体の強固なコラボのトライアングルがあってこその勝利、まさにレッドブル・ホンダはワン・チームを実践して見せたのだ。
終わりよければ全て良し。ホンダF1の集大成、2021年はホンダF1史上おそらく最高の一年であったはずだ。
TETSUO TSUGAWA
TETSU ENTERPRISE CO, LTD.
津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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