2021年F1シーズン最終戦、世界は固唾をのんで見つめていた。絶対王者のルイス・ハミルトンと時代の寵児マックス・フェルスタッペンの戦いを。そして最終ラップの一騎打ちをマックスが制してレッドブル・ホンダがシリーズチャンピオンになったのだ! こんなことが起きるとは誰が想像出来ただろうか。参戦当初はまともに走らず、日本グランプリではレース中にアロンソが「GP2エンジン」発言。そんな辛酸を舐めたホンダがワールドチャンピオンに駆け上がった理由を元F1メカニックの津川哲夫氏に語ってもらった。
文/津川哲夫、写真/Red Bull Content Pool
■奇跡が起きた! ラスト1周決戦でレッドブルホンダのフェルスタッペンが優勝
今シーズン最終レース、最後の1周決戦は激しい攻防の末、最初にチェッカーフラッグを受けたのはレッドブル・ホンダを駆るマックス・フェルスタッペン。この瞬間マックスはチャンピオンシップを奪取し、悲願の初戴冠を決めた。
皮肉なことにこの最終戦アブダビをもって、第四期ホンダF1プロジェクトはその活動に幕が降ろされた。しかもホンダパワーの戴冠はセナ時代から実に30年ぶり、この節目に何かの因縁を感じざるを得ない。第四期ホンダF1プロジェクトは2014年に始まりこの戴冠に至るまでの7年間、決して順風満帆な道のりではなく、紆余曲折の末に辿り着いた頂点であった。
■第四期ホンダF1はスタートから厳しい洗礼
2013年にF1復帰を発表し、2015年マクラーレンホンダ誕生。ここから第四期ホンダF1は出発した。ところが、第四期の発進から、ホンダはF1の厳しい洗礼を受けてしまった。F1での凄まじい開発戦争、それを戦うためのコンセプトや開発技術や開発論、F1を戦い抜くには恐ろしい程の総合力が要求されることを思い知らされたのだ。
F1のPUに対しての各F1チームの要求は高く、それに応えるサプライヤー達のノウハウ、事前開発のスケール、完成したPUの大きな伸びしろ……等々、ホンダはこの激しいF1コンペティションの世界に遅れてきた新入生の如く、途方に暮れてしまった。
結果、2014年の一年間だけの開発ではF1の現状についてゆけず、それもマクラーレンの要求を鵜呑みにした感は拭えなかった。さらに2014年にルノーとフェラーリが陥った失敗とメルセデスの成功を解析・理解するリサーチが不足し、当時ではきわめて苦しいサイズゼロに真正直に一から挑戦してしまった。
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