■「SUV・ミニバンの時代」がプリメーラを不遇へ追いやった?
「日産プリメーラ」というブランドは、なぜわずか3世代で途絶えてしまったのでしょうか?
それは、端的に言ってしまえばセダンというジャンルそのものが、当時は「RV」と呼ばれていたSUVやミニバンの大ブームに押し流されてしまった……ということなのだと思います。
初代プリメーラが人気を博した1990年代初頭は、和暦でいうと平成初期。街では5MTのR32型日産スカイラインGTS-t Type-Mがさっそうと走り回り、週刊ヤングマガジンでは『湾岸ミッドナイト』が普通に連載されていた時代です。
つまりそれは「多くの人間(主に男)が車の走行性能に強い興味を持っていた時代」でした。
そういう時代であったからこそ、「欧州車を超えた!」と評価された初代プリメーラはよく売れました。
それは、決して自動車マニアではない普通のお父さんやお兄さんも「セダンであっても、ハンドリングは良いに越したことはないよね」と思っていたからです。
しかし1994年頃からいわゆるRVの一大ブームが起こると、多くの人にとって車は「その運転自体も楽しむもの」から「どこか楽しい場所へ行くためのツール」へと変わっていきました。
そうなると、初代ほどではないにしろまあまあ本格派だった2代目プリメーラは「余暇に使うには不便なセダンだから」という理由だけで売れ行きは鈍るでしょう。
実際、2代目プリメーラは(決して不人気車ではありませんでしたが)さほどヒットしませんでした。
「ならば!」ということで日産はプリメーラというブランド本来の「スポーツセダン路線」をあえて捨て、モード系のデザインと「ITドライビング」と称した(当時としては)先進的なコネクト系デバイスでもって最後の勝負に出たわけです。
しかし、3代目プリメーラはその勝負に勝つことはできませんでした。
斬新なデザインは玄人筋から高く評価されましたが、一般の素人筋には難解で、なおかつ初代の地味カッコいいデザインを好む層からも(当たり前ですが)そっぽを向かれました。
「そんなことになるなら3代目は初代に回帰して、本格派のスポーツセダンにすれば良かったじゃないか!」という意見もあるかもしれません。
筆者もいち車好きとしてそう思わないではないですが、仮にそれをやったとしても、プリメーラブランドの消滅は回避できなかったでしょう。
本格派なスポーツセダンを好む層はいつの時代にも存在します。しかし時代の変化により、その数というか割合は年々減少していました。
そんなトレンドのなかで2001年に「初代に回帰した本格スポーツセダン!」として3代目プリメーラを発売したとしても、商売が成り立つほどの数は売れなかったはずです。
要するに「仕方なかった」ということです。
■日産 プリメーラ 主要諸元
・全長×全幅×全高:4400mm×1695mm×1385mm
・ホイールベース:2550mm
・車重:1150kg
・エンジン:直列4気筒DOHC、1998cc
・最高出力:150ps/6400rpm
・最大トルク:19.0kg-m/4800rpm
・燃費:11.4km/L(10・15モード)
・価格:206万5000円(90年式2.0Ts 5MT)
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