■黄金期と突如の“変節”
シビックは、その後も本質的クルマの価値を問う小型車として、他社と一線を画した存在であり続けた。
3代目のロングルーフを外観の特徴としたワンダーシビックは、造形自体の衝撃だけでなく、シビックを象徴する姿として後々まで継承された。
2000年の7代目では、1994年以来国内のミニバン市場を牽引してきたオデッセイやステップワゴンのように、室内の床を平らにした新しいパッケージングをシビックで提案した。
筆者は7代目シビックを、21世紀の新しい小型車の模索ととらえ高く評価した。だが市場は違った。
乗車した際の雰囲気の違いや、3代目のワンダーシビック以来17年継承された壮快な走りの印象からかけ離れたことで、人気はいま一つ上がらなかった。
後日、LPLを務めた人に聞くと、実はこの計画は本来シビックのものではなかったと語った。
突如の計画変更によってシビックとして発売されることとなったのである。また販売面でも、21世紀へ向けた新たな提案という印象深い訴求はそれほど積極的でなかった。
このあたりから、シビックの様子が変わってくる。2005年の8代目では4ドアセダンのみの商品構成となり、米国市場を主力とした3ナンバー車にいきなりなった。そして国内での空白期間を挟んで今日の販売不振である。
■グローバリゼーションの大波の元で
一連の動きは、1998年に退任した川本信彦社長から、吉野浩之社長、福井威夫社長、伊東孝紳社長、そして現在の八郷隆弘社長の時代に重なっていく。
この間、2000年に歩行ロボットのASIMO(アシモ)が世を驚かせた。また1999年に誕生したハイブリッドシステムのIMA以後、電動化への停滞時期に入る。
そして、世界販売台数600万台を目指す拡大経営路線へ足を踏み出す。ちなみに、特段の成果のなかった第3期F1もこの時期だ。
それらは、初代シビックの木澤LPLが語った「今、ホンダがどういうクルマを創らなければいけないか、純粋にいま必要なクルマとは何か、クルマの絶対値としてそれを見つけ出したかった」という言葉とかけ離れ、目指すべきものを見失った時代といえるのではないか。
ホンダのあるOBによれば、川本社長までは本田宗一郎の薫陶を直接受けた世代であり、それ以後の社長は、開発の場で宗一郎から直接教えられたり叱られたりしたことのない世代だと語る。
2000年を前後したころ、ホンダ社内から宗一郎の話題が遠ざけられたこともあった。
現行シビックは、米国で販売された車種の導入であり、それはSUVのCR-Vも同様だ。
■トヨタとの、カローラとの差異
一方、カローラも現行車から3ナンバーとなったが、国内向けの車体を持ち、海外のカローラに比べわずかだが横幅を狭めている。
理由は、5ナンバー車として歴代カローラを愛用してきた優良顧客(ロイヤルカスタマー)の使い勝手や心情を考えての措置だ。
2006年の10代目カローラから、国内向けに海外と別のプラットフォームを用い、5ナンバーを維持してのちの3ナンバー化である。
顧客の都合や事情を配慮してトヨタは3ナンバー化に踏み切った。それに対し、シビックは2005年の8代目で突然米国仕様と同じ3ナンバー化を行い、2011年の9代目は日本で販売しなかったのである。
もはや消費者の選択肢には入っていなかった車種を、海外で販売されているまま日本へ持ち込んでも興味を引きにくいのは当然だ。
このまま売れ行きが思わしくなければ、また販売しなくなると疑われてもおかしくない。
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