■「今必要なクルマは何か?」から生まれたシビック
初代シビックは、1972年(昭和47年)に誕生した。
その前に、ホンダ1300という初の小型車を1969年にホンダは発売している。日産サニーやトヨタ・カローラの誕生から3年後のことで、同様の3ボックスの4ドアセダンであった。ところが、売れ行きはまったく伸びなかった。
当時、シビックの開発を任された技術者たちがまず命じられたのは、三重県の鈴鹿製作所へ行くことだった。そして、ホンダ1300の生産ラインを目の当たりにする。
「生産ラインをポツンポツンとしかH1300が流れていなかった。こんな状態なのかと、愕然としました」と、造形を担当した岩倉信弥は語っている。
そして、初代シビックのLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー=開発責任者)を務めた木澤博司は、このプロジェクトが失敗したらホンダが本格的に4輪事業へ進出するのは難しいかもしれないとの危機感のもと、
「今、ホンダがどういうクルマを創らなければいけないか、純粋にいま必要なクルマとは何か、クルマの絶対値としてそれを見つけ出したかった」
との思いから編み出したのが、2ボックスのFFシビックである。
それに際し、車体の全長×全幅の寸法は5平方メートルに収まる大きさとした。
理由は、2輪で事業をはじめたホンダの販売店の店先に収まる大きさにしたのである。これを実現したのが、〈マンマキシマム・ユーティリティミニマム〉の思想だ。
のちに「マンマキシマム・メカミニマム」とのいい方がされるが、要は、人が使う部分は最大に、一方で、クルマを構成する機能部品や効率は最小にという定義である。
■使う人にどれだけ最大の価値を提供できるか?
使う人にどれだけ最大の価値を提供できるか、それがホンダの哲学だ。
これは、本田宗一郎が自転車にエンジンを取り付け、人々の生活を楽にしようと考えたものづくりの原点である。
飛行機が好きであったり、エンジンや機械いじりが好きであったりした宗一郎の自己実現を夢見たわけではない。
創業後のレース参戦も、世界と伍して競える技術を身に着けるためであり、レースで勝ち、ホンダの名声を高めるためではなかった。
もちろんレースで勝つことによって名声は高まるが、それは結果的な成果である。
■CVCCの誕生と遺したもの
シビックの歴史は、初代誕生まもなく次の段階へ入っていく。CVCC(複合渦流調整燃焼方式)エンジンの成功だ。
1970年に米国で起きた排ガス規制に対処するため、ホンダ以外のメーカーは排出ガス浄化という後処理で対処しようとした。だが、ホンダはエンジンの燃焼そのものの改善を試みた。
これが世界初の排出ガス浄化エンジンを実現させたのだ。
国内ではトヨタやいすゞ、米国ではフォードやクライスラーが技術供与を求め、米国の環境保護庁(EPA)は、CVCCをゼネラルモーターズ(GM)へ供給できるか公聴会で問い合わせもした。
のちに、ホンダも後処理によって排出ガス浄化を行う道へ進むが、物事の根本から課題を解決する教訓を残した。
今日においても燃焼を極めることが燃費向上の礎となることを世界の自動車メーカーが実践し、国内ではマツダのSKYACTIVが象徴といえる。
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