令和元年10月に襲来した台風 19 号などによる大雨では、クルマが水没し、運転者や同乗者が亡くなる事故が相次いだ。
また令和2年7月、熊本県を中心に九州や中部地方など日本各地で発生した集中豪雨においてもクルマが水没する被害が起きた。
特に令和元年、東日本を中心に大きな被害をもたらせた台風19号と、その後の台風21号や低気圧の影響に伴う記録的な大雨では、水没した車内で亡くなる「車中死」が急増した。
令和元年の大雨による死者は、千葉県で9人、福島県で1人。千葉、福島の両県で死亡した10人のうち半数の5人が「車中死」だったという。
なかでも令和元年10月25日の大雨の際、千葉県長柄町で水没したクルマに取り残されて死亡した88歳の男性は、水没した車内で家族に電話をしていた。「水につかってエンジンが止まった」、「窓も開かない」、「椅子まで水が入って来ちゃった」、そして最後の会話が「首まで水がつかった」だった。
ここで改めて、台風および大雨で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 被害に遭われた方の1日も早い復興をお祈り申し上げます。
ちなみに衝突・追突・横転事故、ゲリラ豪雨などの自然災害により車内から脱出できなくなる車内缶詰事故が多発し、クルマに閉じ込められ脱出できない人は年間2万333人、車内缶詰事故で焼死、溺死した人は年間169人(平成28年消防白書、厚生労働省人口動態統計)となっている。
今回、そうした傷ましい車中死を防ぐためにはどのような対策が必要なのか? またクルマはどこまで水没すると動かなくなるのか、クルマが水没した時の脱出方法などを紹介してきたい。
文/高根英幸
写真/丸愛産業 Adobe Stock 国土交通省 独立行政法人国民生活センター
【画像ギャラリー】国民生活センターが行った11社14銘柄の緊急脱出ハンマーのテスト結果は?
冠水しそうな道路には入らない

令和2年は梅雨明けが遅かったことも関係して、台風がやってくるのも遅かった。梅雨時も水害をもたらすほどの雨を降らせたが、台風は大雨と強い風がセットで襲いかかってくるだけに、建物やクルマにおよぼす被害は梅雨の大雨とは比較にならない。
今年はまだまだ台風がやってくるであろうから、もちろん台風が接近しているような日には外出などしないほうがいいし、コロナ禍でなければ台風の影響がない地域にまで避難したほうがいいくらいだが、それでも台風が迫っている状態のなか、クルマで出かけなければいけない時もある。
日本自動車連盟(JAF)が行ったJAFユーザーテストでは、乗用車は水深30cm程度の道を30km/hで走行すると、巻き上げる水がエンジンルームに入って停止する可能性があると警告。水深60cmでは10km/hでしばらく走ることができるが、やがてエンジンが止まるという。
命に危険をおよぼす大雨が降った場合、クルマを使うか判断に迷う場合がある。
最初は大丈夫だと思っていても、運転を進めるうちに急に水かさが増す場合があるので、水深10cmでもクルマの運転は控え、走行中に冠水してきた場合は、窓を開けて逃げ道を確保することが重要という。
内閣府では、こうした事態を避けるためには、事前にハザードマップなどを把握したうえで、水位が上がり始める前に避難することが重要で、「災害時の避難は原則的に徒歩にするように」と注意を呼びかけている。
そんな場合には、運転席のドアポケットやシートの脇に装備しておきたいのが、緊急脱出用ツールだ。
これはガラスを割ることができるピンポイントハンマーとシートベルトを切断するカッターなどが一体化している緊急脱出用ツールだ。
丸愛産業が販売している緊急脱出ハンマー、レスキューマンはトヨタ(レクサス含む)、日産、ホンダアクセス、マツダ、ダイハツ、三菱などに純正アクセサリーとして販売されており、9割以上がディーラーオプションとして用意されているものの、装着が義務化されているわけではない。
万一のことを考えると、冠水被害が多発する地域などでは標準装備にしてもいいのではないだろうか。
このレスキューマンIIIの価格は2484円(メーカーによっては価格変動あり)。 ディーラーによってはクルマに標準装備としているところやフロアマットやサイドバイザーなどの付属品に含めている例もあるそうだ。
また警視庁をはじめ、大阪府県警本部、神奈川県警警察本部など全国の21の警察本部や日本道路公団、日本自動車連盟などがレスキューマンを装備している。
国交省が「台風の前に水没車両脱出手順の確認と脱出用ハンマー搭載のお願い」を発表
台風や大雨ばかりではなく例えば、峠道を走っていて崖から転落、なんて場合にもシートベルトが外せなくなる(シートベルトに体重が掛かって張力があると外れないことがある)ケースでは、シートベルトを切断しなければ、クルマから脱出することはできない。
つまり、何らかの状態でクルマから脱出不能になった際には、ガラスを割ったり、シートベルトを切断する必要があり、クルマにはいざという時のために、緊急脱出用ツールを備えておく必要があるのだ。
こうした緊急脱出ツールは、ハンマー型でガラスに振り当てて割るタイプが一般的だが、それ以外にも棒状で先端に超硬のビットが備わっており、握ってビットをガラスに叩きつけるピック型やガラスに押し当てるとバネの反動でビットが飛び出てガラスを割るポンチ型なども出回っており、デザインも実に様々なモノが揃っている。
以前は100円ショップでも販売されていたが、さすがに100円では性能的に満足するモノを提供することは難しく、国民生活センターによる性能テストでガラス粉砕性能がないなどの問題が発覚し、回収騒ぎになったこともある。価格よりも性能や品質を重視することをお勧めしたい。
2020年8月12日には、国土交通省がクルマの水没対策及び緊急脱出ハンマーを搭載しておくことを推奨する、と発表している。
さらに8月20日には国民生活センターが緊急脱出ハンマー19製品を、ガラスを粉砕する能力や本体を装着しておくホルダーの有無、製品の耐久性についてテストしており、5製品はガラスを粉砕できないことが明らかにしている。

緊急用だけになかなか練習することができないから、こうしたツールはいかに使いやすい仕様であるかが大事だ。なにしろ窓を割って脱出しなければならない状態は、緊急事態そのもの。
豪雨による洪水で冠水した道路にうっかり進入してしまい、走行不能になってしまったとしたら、ドアは水圧で開かなくなるし、電装系はショートしてパワーウインドウが開かなくなることもある。
そうなったら即座にウインドウガラスを割って、車外へと脱出しなければ危険だ。
また交通事故でクルマが損傷してドアが開かなくなった場合も、脱出するにはウインドウガラスを破るしか方法はないこともある。
警察やレスキュー隊を待っていては出火してクルマが燃えてしまう可能性もゼロではないから、身体が動かせる状態であればクルマから脱出したほうが絶対に安全だ。
もちろんその場合は、クルマから離れてガードレールの内側など安全な場所に避難することも大事だ。
また時々報道されるパワーウインドウによる挟み込み事故に関しても、負荷によってパワーウインドウのブレーカーが作動したり、ヒューズが切れて作動不能になってしまうこともある。
どちらにせよ当事者はパニックになっているなら、オーナーに承諾を得てからそのサイドウインドウを割ることができれば助けることもできるのだ。
日本の緊急脱出ハンマーのパイオニアがレスキューマン

日本でこうした緊急脱出ハンマーを広めたのが、レスキューマンの商品名で知られる丸愛産業だ。
そもそも同社は1963年(昭和38年)に産業用の部品などを開発する企業として創立。
バッテリーの端子部分の腐食を防ぐアイテムを開発し、マツダや三菱、トヨタ、日産と順次純正アクセサリーとして採用され、その後もクルマ酔いを防ぐチップなど他社にはないユニークな製品を開発して、カー用品メーカーとして成長してきた。
なかでもレスキューマンは、今や同社の主力商品といっていいほどのヒット商品になっている。
このレスキューマンを開発した経緯を丸愛産業営業部の原田氏に訊いてみた。
「以前から欧州ではこうした緊急脱出ハンマーが販売されていて、弊社で日本に合った商品を開発しようとして誕生したのが、初代のレスキューマンでした。これは1991年に発売したもので、ウインドウを割るガラスハンマーにシートベルトを切断するハサミを格納してひとつにした構造になっていました」。
このレスキューマン、発売されるや自動車メーカーの純正アクセサリーとして次々と採用されていく。
それは前述のようにそれまでの納入実績があったことも影響しているだろうが、それまで輸入品しかなかった緊急脱出ツールに、日本メーカーならではの品質と作り込みが評価されたことも大きい。
そして1997年には改良された新商品のレスキューマンIIIを発売する。これはハンマー部分がコンパクトになって、収納スペースで場所を取らなくなり、スマートにクルマに装着できるようになった。
それだけでなく、シートベルトを切断するカッターをグリップ部分に内蔵させることで、よりカッターを使いやすくするだけでなくグリップも太く握りやすい形状に改良されている。
ところで、レスキューマンIIIという商品名ならば、その間のレスキューマンIIも存在するのではないだろうか。しかし歴代モデルとしてレスキューマンIIは記録にない。どこにいってしまったのだろうか。
「レスキューマンIIも試作品までは作り上げたんですが、会社として納得のいく商品にでき上がらなかったことで、開発を継続してIIIにまで発展させて、市販化しました」(原田氏)。
公式にはデビューしていないだけに、現行モデルがレスキューマンIIを名乗ることだって可能だ、それでも現行モデルがレスキューマンIIIを名乗るあたりに、レスキューマンの進化ぶりだけでなく、日本企業ならではの実直さを感じさせるではないか。
ちなみにレスキューマンとレスキューマンIIIは、全日本交通安全協会から脱出用ハンマーとして推薦を受けているそうだ。
自分だけでなく、周囲でのアクシデント救助にも役立つ
前述したように、今やこうした緊急脱出ツールは様々なデザインがあり、なかには小型の消火器が一体化されているモノもある。
近年の気候変動により、大雨や台風などによる水害は確実に深刻化している。そう考えれば、補償を重視した自動車保険に加入するだけでなく、実際に災害に遭った時には生き延びるために、こうした緊急脱出ツールを確保しておく必要がある。
しかも自分ではなく、他のドライバーが車内に閉じ込められている状態から助け出す際に役立つかもしれない。そう考えれば2000~3000円程度で購入できるアクセサリーであれば、購入しておくべきだろう。
そう、この手の商品は安ければいい、というモノではないのだ。実績で判断する必要はないが、確実に使えなければ、いくら安くても意味がないガラクタでしかない。
ガラスを割ることに、恐怖感を覚えるドライバーもいるかもしれないが、クルマのサイドウインドウは強化ガラスを採用しており、硬度を高めているガラスは1ヵ所に亀裂が入ると、一瞬で全体がバラバラに砕け散る。
それは小石程度の大きさになるので、むしろ通常のガラスより人体への攻撃性は低いのだ。
それを記憶していれば、緊急時に躊躇なくガラスを割って、室内に閉じ込められた乗員を救うことにためらうことはなくなるのではないだろうか。
緊急脱出ハンマーで割れないフロントウインドウ
覚えておかなくてはいけないのは、フロントガラスや一部車種のドアガラスに用いられている合わせガラスは緊急脱出ハンマーで破砕することができないということ。
破砕できるのは強化ガラスに限られ、フロントガラスや 一部車種のドアガラスに用いられている合わせガラスを破砕することはできない。
自分の自動車のどの箇所のガラスが緊急脱出ハンマーで破砕することのできる種類のガラス(強化ガラス)なのかについて、自動車用ガラスに表示されたマークの表記を参考にしたり、取扱説明書を確認したり、自動車製造事業者に問い合わせるなどして予め確認しておいたほうがいい。
割ることのできる強化ガラスは、主にドアガラス、サイドガラスおよびリアガラスに用いられ、JISマークの付いた自動車用ガラスでは、JISマーク付近に“T”または“TP”の表記がある。
合わせガラスは2枚以上の板ガラスに柔軟な樹脂を中間膜として接着したもので、ガラスが割れても中間膜によって破片の大部分が飛び散らず、容易に貫通されない。
主にフロントガラスに用いられるが、ドアガラス、サイドガラス、リアガラスにも用いられている車種もある。JISマークの付いた自動車用ガラスでは、JISマーク付近に“L”または“LP”の表記がある。

ちなみに、強化ガラスを割る際には、中央付近を叩くのではなく、固定されている部分に近い角付近を狙おう。
衝撃が逃げることなく打点部分に集中し、より確実にガラスを砕けさせることができるからだ。
シートベルトが切断できないとドアガラスを破砕しても車外に脱出ことはできない
また、シートベルトカッターがついている緊急脱出ハンマーを選ぶか、ついていない場合はシートベルトカッターを別途用意したほうがいいだろう。
水が室内に侵入し、パニック状態になるとシートベルトを外せなくなることも多い。
そんな時は、緊急時にシートベルトが切断することになるのだが、シートベルトを切断できないと、ドアガラスを破砕しても車外に脱出することができないので、最初にシートベルトを切断することが必要になる。
また、水没時にシートベルトに拘束された状態でドアガラスを破砕すると身動きのできない状態で車内に水が浸入して、かえって危険になる可能性があるので、シートベルトカッターがついている緊急脱出ハンマーを選んだほうがいいだろう。