高性能化が進み、普通自動車並みに価格も上がってきている軽自動車。しかし、その軽自動車にあって変わらないものが「64馬力規制」だ。
メーカーの自主規制ではあるが、自動車ファンからは撤廃し、もっとスポーティな軽自動車が欲しいという声がよく聞かれる。なぜ、クルマがここまで高性能化している時代に、メーカーは64馬力規制を変えようとはしないのか? 何かしらメーカーにメリット、もしくはデメリットがあるからなのか?
今回は、軽自動車が抱えている独自の事情から、64馬力規制が撤廃されないそのワケを考察していきたい。
文/御堀直嗣
写真/SUZUKI、HONDA、編集部
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■最高出力は重要度低し! 求められるのはいかに消費者に寄り添えるか
軽自動車のエンジンには、最高出力64馬力という自主規制がある。自主規制とは、軽自動車であることを定める法的な規格ではなく、自動車業界が自ら規制し、業界全体で守ろうとする行動だ。
発端は、1987年に、スズキ「アルト」に「アルトワークス」という高性能車種が追加となり、エンジン排気量550ccながら、ターボチャージャーの過給により64馬力を達成したことから、これを上限とする動きとなった。
なぜ、最高出力の自主規制が業界で行われることになったのかという理由は定かではない。ただ、軽自動車はそもそも大衆のためのクルマとして1955年に通商産業省(現・経済産業省)の重工業局自動車課により国民車育成要綱が創案され、そこから形が整った車種であり、廉価な実用車との考えが根幹にある。
当初のエンジン排気量は360ccであり、その後、550cc、660ccと拡大され今日に至る。排気量拡大の背景にあったのは、排出ガス規制対応だ。排出ガスの有害物質を削減することにより、出力が落ち、運転しにくく、かつ加速の悪いクルマとなってしまうため、排気量を増やして対処できるようにした。
余談ながら、車体寸法も、走行安定性や衝突安全性を高め、登録車と同様の安全を確保するために拡大されてきた経緯がある。
時代が進むにつれ、クルマとしての最低限の性能や安全を確保するため、軽自動車規格は改定を受けてきた。
同時にまた、廉価な実用車という価値に止まらず、より快適に、より速くとの期待も消費者のなかに生まれ、自動車メーカーも技術革新により新たな商品価値を軽自動車に与えるようになった。そのなかに、運転を楽しめる高性能車の企画が加わった。アルトワークスが誕生した1987年は、バブル経済期に入るころであり、より高性能であったり寄り贅沢であったりという事柄へ消費者の目が向いていた。
スポーツカーとして、1991年にホンダ「ビート」やスズキ「カプチーノ」、2002年にはダイハツ「コペン」なども誕生している。ビートやカプチーノの時代は、ミッドシップのビートよりターボエンジンを搭載したカプチーノに人気が集まり、軽自動車でも高出力志向が消費者の間で顕著だった。
その時代はまだ軽自動車の車体寸法も現在より小さく、タイヤ性能も今日ほど扁平は進んでおらず、エンジンの無暗な高出力化は事故防止の観点でも意味があっただろう。
しかし、現在では、車体の大型化やタイヤ性能の向上もあり、軽自動車の操縦安定性は飛躍的に高まった。そして、より壮快な運転感覚を求める消費者から、軽自動車の最高出力の自主規制を撤廃すべきではないかとの意見もあるという。しかし量産市販の軽自動車で、いま以上の高出力化をする必要があるのだろうか? 自主規制の話とは別に、必要性という点で疑問がある。
なぜなら、ターボチャージャーを使う過給エンジンにおいても、現在は燃費と性能の調整役としての機能が世界的に求められる技術となり、ただ最高出力を高める道具ではないとの認識が広がっている。30年近く前とは、原動機に求める性能の優先順位が違っているのである。
また、輸入車を発端としたディーゼルターボエンジン車の広がりにより、日常的かつ高速道路での長距離移動という一般的なクルマの利用において、エンジンに求められるのはトルク値とトルク特性であることが理解されてきた。最高出力を高めることの意味がなくなりつつあるのである。適切なトルク値とトルク特性が発揮されることで、単に運転がしやすくなるだけでなく、胸のすく加速も得られることを消費者は理解している。
逆に、最高出力の高さは、人に自分のクルマの性能を誇るうえでは証となるかもしれないが、実用上はほぼ無意味といっていい。登録車で、世界の競合と競うのであれば価値が残るかもしれないが、最高出力とは、サーキット走行などでアクセル全開にした際に最高速がどこまで達成できるかに役立つ指標であり、日常生活では何の役にも立たないのである。
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