いま振り返ってみると、日本の新車市場には「黄金時代」といえるような数年間があった。
その黄金時代を「いつ」と決めるかは個々人で若干差があるだろうが、現在50代近辺の人ならまず「ここらへんだ」と答えそうなのが、1986〜1988年近辺だろう。
いまから約30年前、当時20歳前後だった若者が、今やアラフィフとなって中間管理職となっている。その頃の若者が、憧れ、見上げたクルマたち。この頃のラインアップを眺めてみると、その世代にいまもクルマ好きが多い理由が実感できる。
この時期、多くの輝かしいモデルが登場し、日本の自動車産業を盛り上げていた。
本稿ではその時代の中でもさらに輝いていたクルマをいくつか取り上げ、特に当時のクルマ好きが喜んだ「ツボ」、魅力を紹介したい。
当時を知る皆さんはぜひ当時を思い出して懐かしみ、また当時を知らない若者は、「こういう話題を出せばアラフィフは喜ぶんだな」と思いを馳せていただきたい。
文:片岡英明
■1980年代後半、なぜ日本車の魅力は急激に上昇したか
まずはざっくりと時代背景の解説から。
日本自動車界では、排ガス対策が一段落した1985年秋からバブル景気が訪れ、円高ドル安の波が一気に押し寄せる。
当然、各自動車メーカーは急成長を遂げ、生産台数は大幅に増えた。作れば売れ、売れればまた作れるから、各ラインアップは次々に排気量を拡大し、パワーアップも積極的に行う。
あっという間に多くのエンジンがDOHC4バルブエンジンになり、インタークーラー付きターボを採用するクルマも多くなっていった。
また、ボディサイズを拡大し、小型車枠を踏み越えるクルマも続々と登場した。技術競争が盛んだったから先進装備と快適装備も意欲的に盛り込んだ。
6気筒エンジンを積む高級スポーツクーペや高級セダンもこの時期に増えてきた。ソアラが先鞭をつけたプレミアムスポーツクーペの市場にはレパードやレジェンドが名乗りをあげている。セリカXXはスープラと名を変えた。
4気筒エンジンを積むミドルクラスのスポーツクーペも元気だ。デートカーの代名詞となったホンダのプレリュードに、老舗のセリカとシルビアが復権をかけて挑んでいる。
また、ビッグカーの時代を呼び込んだシーマが爆発的に売れ、社会現象となったのもこの時期だ。
こうした背景をもとに、日本車は急激な進歩を遂げた。以下、この時代、特別に輝きを放っていたモデルを紹介しよう。
■トヨタ初代(A70)スープラ 1986年発売
トヨタのグランドツーリングカーであったセリカXXは、1986年2月にモデルチェンジしたのを機に「スープラ」を名乗った。
長いノーズの先端にはリトラクタブル・ヘッドライトを組み込んでいる。ノーマルルーフに加え、脱着式のエアロトップも設定した。
こういった遊び心は、今のクルマにはない魅力だ。インテリアもスポーティなデザインで、デジタルメーターとアナログメーターの両方を設定している。
パワーユニットも豪華だった。フラッグシップグレードはインタークーラー付きターボで武装した3Lの7M-GTEU型直列6気筒DOHC4バルブである。その下に2Lの1G-GTEU型DOHCツインターボと自然吸気の1G-GEU型DOHC4バルブを設定した。
サスペンションは4輪にダブルウイッシュボーンで、電子制御サスペンションのTEMS(Toyota Electric Modulated Suspension)もある。
1987年1月にワイドボディを設定し、88年にはのちに伝説となる「ターボA」を500台だけ限定発売した。最終モデルのリーダーは、パワフルな2.5Lの1JZ-GTE型直列6気筒DOHCツインターボだ。
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