2010年から2018年まで、2万7982台を販売したクルマ、「FJクルーザー」。爆発的なヒットとはならなかったが、クルマ好きの間では、記憶に残るクルマのひとつとなっている。
FJクルーザーは、強いインパクトを残し、短命に去っていった。なぜ、ここまで記憶に刻まれるクルマとなったのだろうか。元トヨタディーラー営業マンの筆者が、FJクルーザーが残した、鮮烈な記憶と記録を伝えていく。
文/佐々木亘 写真/TOYOTA
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■日本導入されたトヨタらしくないトヨタ「FJクルーザー」
1954年、トヨタBJ型ジープに、高負荷運転が可能となる消防用ポンプ車専用のF型エンジンを積んだ。このクルマは、FJ型と呼ばれる。FJという型式は、大きなエンジンを積み込むランドクルーザーに使用され、モデルチェンジを繰り返していった。
そして1960年から「ヨンマル」ランドクルーザーが24年間にわたり販売された。これをモチーフにして開発されたのがFJクルーザーだ。伝統ある型式「FJ」の名を冠し、本格クロスカントリー車として、2006年に北米で販売される。
2010年には、北米市場向けFJクルーザーの逆輸入車が、日本で人気となる。これを見たトヨタは、FJクルーザーの日本市場導入を決めた。ランクル40系を彷彿とさせる個性的なルックスと、強靭な走りを併せ持つFJクルーザーは、北米では2014年まで、日本市場では2018年まで販売されることとなる。
FJクルーザーは、視覚に強く訴えるクルマだ。丸目のヘッドライトの間には、「TOYOTA」とアルファベットが刻まれる。フロントガラスは、ほぼ垂直に近く立ち上がり、ワイパーは3本。角張ったボディからは、軍用車のような雰囲気も感じられる。
ドアは観音開きで、フロントドアを開けないとリアドアが開かない仕組みだ。さらには、リアドアにフロント用のシートベルトが組み込まれており、後部座席の乗員を下ろすだけでも、フロントシートの乗員はシートベルトを外し、ドアを開けなければならない。
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