【フィット、シティ、マーチ…】かつて時代を席巻した「ハッチバック」の軌跡

【フィット、シティ、マーチ…】かつて時代を席巻した「ハッチバック」の軌跡

ハッチバックとは、クルマの背面部に船のハッチのような跳ね上げ式のドアが付いた車種のこと。乗車スペースとトランクルームが一体となっており、荷物の出し入れ、そのためのスペースの確保が容易であるなど、実用性に優れている点がメリットだ。

1965年登場のコロナ5ドアに始まり、コンパクトな車体と優れたユーティリティでこれまで数多くのモデルが販売されてきたハッチバック。その歴史を、「第1回 日本カー・オブ・ザ・イヤー」受賞、5代目ファミリアが登場した1980年から、転換点となったタイミングを押さえながら振り返ってみたい。

読めば、一つの車種の変遷のみならず、自動車市場の流れやメーカーの戦略思惑までもが見えてくる。解説は清水草一氏。氏が得意とする軽妙な文章でお楽しみください。

※本記事は2017年5月のものです。
文:
清水 草一
写真:ベストカー編集部
初出:ベストカー2017年5月10日号


1980年頃…“貧乏臭い”から“若々しい”にイメージが変貌

我が国におけるハッチバックは、5代目ファミリアの大ヒット炸裂で一気にメジャー化を果たしたと言ってよかろう!

初代ゴルフの誕生は1974年。その頃から欧州の小型車はFF(前輪駆動)ハッチバックが主流だったが、日本ではまだまだセダン全盛。でなければ、スポーティなクーペがエライという時代だ。ハッチバックははるか格下、初代シビック(1972年登場)はヒットしていたが、まだ一般的には貧乏イメージが強かった。

しかし1980年に登場した5代目ファミリアは、日本人の既成概念をドーンと変えた。FFレイアウトを採用して室内は広々、デザインはシンプルかつオシャレでカッコいい。これはVWゴルフのコンセプトにソックリだったが、デザインも走りも清潔感溢れる名車であり、「真っ赤なファミリア」の呼び名で大きなブームになった!

5代目ファミリアは売れに売れ、第1回 日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞。以後ハッチバックは、「若々しくて実用的でカッコいいもの」となったのでした……。

5代目マツダファミリア
5代目マツダファミリア

1981年には「ホンダホンダホンダホンダ」の初代シティが、1982年には「マッチのマーチ」の初代マーチが登場。消費の王様である若者(当時は)が志向するクルマは、スポーツカーかハッチバックという2大潮流ができあがった。

いっぽうトヨタ・スターレットは、小型ハッチバックとして数少ないFRレイアウトだったが、おかげでこのいわゆる「KP61」は貴重な存在となり、モータースポーツの分野で長く愛されたのは皮肉ですのう。うむ。

1981年登場の初代シティ。
1981年登場の初代シティ
KP61を含む2代目スターレットは’78年登場。このなかでは唯一のFR
KP61を含む2代目スターレットは1978年登場。このなかでは唯一のFR
初代マーチは’82年登場
初代マーチは1982年登場

若者を中心にスポーツモデルが人気

ハッチバックの特徴といえば広いラゲッジスペースを持つゆえのユーティリティがあるが、もうひとつ、比較的価格が安いということがある。若者にとっても手が届きやすく、自然、走りの性能に優れたグレードも求められるようになった。

その声に応えるように、1982年にはシティにターボモデルが追加されて若者層を中心に人気を博し、マーチにも1985年にターボ、1989年にはターボとスーパーチャージャー、Wで過給する「スーパーターボ」も登場することになった。

1990年頃…バブルと共に燃え上がるハイパワー志向

ファミリアブームは1代限りで尻切れトンボとなったが、もはやハッチバックの地位は揺るがなかった。その中心を担ったのはシビックだ!

4代目ホンダシビック
4代目ホンダシビック

初代から連綿とハッチバックボディを熟成してきたシビックは、3代目のワンダーシビックで1.6L DOHCエンジン搭載の「Si」を投入(1984年)。これこそ、FFハッチバックの本格的なスポーツ化の幕開けだったぜよ。

6代目ファミリアも、販売面では苦戦しつつも、4WDツインカムターボモデルを登場させて(1985年)WRCで1勝を挙げ、スポーツ部門で気を吐いた。

1985年のスウェディッシュラリーで優勝し、「雪の女王」と言われた6代目ファミリア
1985年のスウェディッシュラリーで優勝し「雪の女王」と言われた6代目ファミリア

しかし、シビックの快進撃は止まらなかった。

続く4代目「グランドシビック」は、1989年のマイナーチェンジで、VTECエンジンを積んだ「SiR」を発表。リッター100馬力を誇るB16Aを得たシビックは、筑波サーキットでの耐久レースを中心に、モータースポーツフィールドで無敵を誇った。

もちろん他社も指をくわえてはいない。日産はアテーサ4WD+2Lツインカムターボ(230ps)のパルサーGTI-Rを送り出し、WRC制覇を狙う(大コケ)。三菱はミラージュサイボーグで対抗。スズキは2代目カルタスにツインカムのGTiを投入し、トヨタもスターレットにGTターボを追加。

このように、バブル景気に乗って、ハッチバック界でも「遅いクルマはダサすぎる!」という風潮が蔓延し、激しいパワー競争が繰り広げられたのだ。うおお~。

本家たるシビックは、1991年の5代目「スポーツシビック」で、リッター100馬力超えの170馬力VTEC(1.6L)を投入し余裕を見せるが、バブル崩壊と共にパワー競争は下火へ向かっていたため、リーンバーンエンジンも用意したのでした。

スズキのホットハッチ、2代目カルタスのGTi
スズキのホットハッチ、2代目カルタスのGTi
89年登場のスターレットGTは135ps発生の1.3ℓターボを搭載
1989年登場のスターレットGTは135ps発生の1.3Lターボを搭載
三菱の4代目ミラージュサイボーグ。175psの1.6Lエンジン搭載
三菱の4代目ミラージュサイボーグ。175psの1.6Lエンジン搭載
WRCを睨んだ’90年登場の日産パルサーGTI-R
WRCを睨んだ1990年登場の日産パルサーGTI-R

ホンダvs三菱、VTEC vs MIVEC

1990年代に入ると、実は一般市場でのハッチバック人気は下火になったのだが、それとは対照的にスポーツモデルの存在感は増していく。圧巻だったのはシビックと三菱のミラージュで、ともに1.6LのNAエンジンながらホンダは5代目モデルのSiRで170psを、ミラージュは4代目モデルのサイボーグが175psを発生していた。また、ダイハツもシャレードにリッター100psを達成していたGT-XXを用意していた。

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