1999年頃…速さはいらない。小粋で広さがあれば充分だ
1990年代。バブル崩壊により貧乏になった国民は速さへの渇望を捨て、激安車に走った。が、それが一服したところで沸き起こったのが、RV(Recreational Vehicleの略。本来はキャンピングカーを意味していたが、日本ではレジャー向けの車の総称として使われた)ブームだった。
パジェロやサファリ、テラノなどの重厚長大なRV(当時はまだSUVという言葉はなかった)がバカ売れするいっぽうで、小型軽量なハッチバック車の販売は、軒並み不振に陥った。
ターセル/コルサ/カローラⅡ、スターレットが1999年に消滅。パルサー、ミラージュも2000年に消滅。それらのハッチバックは、もはや特段の魅力を持たない、夢のない小型車に堕ちていたのである。
しかし、老兵が消えれば新たなスターが誕生するのが世の常。新たな価値観を持ったハッチバック車たちが、その穴を埋めた!
スターレットに代わって1999年に登場したヴィッツは、それまでの常識を破壊する斬新なデザインをまとっていた。速さはカケラもないが、ギリシャ人デザイナーによるスタイリング&インテリアは従来の価値観を引っ繰り返すパワーを持ち、クラウンからの乗り換え客も出た。
もういっぽうの雄は、2001年登場のフィットだった。こちらは従来の常識をメタメタにする驚異的な居住性で市場を席捲。しかも安い! 7代目シビックの売れゆきは下位に沈んでいたが、フィットがそれに取って変わって余りあったのでありました。プピ。
+αの魅力が求められる時代
従来の価値観が終わりを迎え、考え抜かれた基本性能+αとなる商品が求められだしたのが世紀末の1999年頃。景気は低迷しているため、価格の安さがヒットモデルの大事な条件なのは変わらないが、ユーザーは価格以上の魅力を備えたモデルを厳しく選びだしたともいえる。
この流れが現在まで続いていることを考えると、2017年になっても、いまだ景気は本格回復していないと思わされる。
2005年頃…ハッチバックは世界を舞台に戦う時代に突入
20世紀中の国産メーカーは、なんだかんだいって相当国内市場を重視していた。
しかし、1999年にルノーから日産にカルロス・ゴーン氏が送り込まれる。それは、ハッチバックにかぎらず、国産車大グローバル化の前兆であったといえるだろう。
ハッチバックの本場は、なんといっても欧州。もちろん北米やアジアなど新興国市場も重要だ。21世紀に入ると、日本国内よりもむしろ、海外市場を重視した開発体制が敷かれるようになっていく。
その象徴ともいえるのが、2004年に登場した2代目スイフトだった!
初代スイフトは軽自動車をベースにしていたが、2代目はスズキの世界戦略車。大部分がハンガリーやインドなどの海外工場生産となり、走りはまさに欧州車! 我々は皆驚愕し震撼した。それは、国産ハッチバック車欧州化開始のドラの音であったのだ。ジャ~ン。
マツダのアクセラスポーツは、国内ではまったく不振だったが、その欧州車的なしっかりした走りは本場欧州で好評。国内では見向きもされず海外で好調というのは、典型的なグローバル化した国産ハッチバックの姿だった。
トヨタは2006年にオーリスを発表。これこそ実は欧州向けカローラで、やはり国内では売れなかったが、グローバルではバカバカ順調に売れたのである。
国内ではフィットの快進撃は止まらず、2代目(2007年登場)もバカ売れ。アジア各国に加えてイギリスでも現地生産されるようになり、グローバルカーへと成長したのでした。なるほどね。
ボディの大型化は不可避?
日本での使い勝手が重視されたこれまでと異なり、世界戦略車ではボディサイズ、特に全幅の縛りがなくなる。そのためオーリスやアクセラなどは排気量は小さくても3ナンバーボディを持つ。
それは日本のファンにとって嬉しくないことのはずだが、どうも最近はその傾向にも慣れてきた感があるような……。
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