この原稿を書いている5月末日現在、スーパーフォーミュラ(SF)に参戦予定の外国人選手および海外と日本を往来するドライバーの出入国(主に入国)制限はまだ継続されている。
世界耐久選手権(WEC)とかけもち参戦の中嶋一貴(36、トムス)と小林可夢偉(34、KCMG)、そして今季まだ一度も日本で走っていないサッシャ・フェネストラズ(22、仏、KONDO)らの姿は、6月19、20日に行われる第4戦SUGOでも見られそうにない。
単純に3日間のホテルの『独房』滞在を含む2週間の隔離生活のため出場が叶わない選手もおれば、日本入国の査証(VISA)が発給されないため参戦が叶わない選手もいる。
特に外国籍選手が日本で働くための就労VISA取得に関する個々の事情を書きだすと、それだけで字数が埋まるのでここでは割愛する。
が、ようするに『東京2020』の開催とそこでの感染対策成功の可否が、年内に日本で予定されているモータースポーツの国際イベント(F1、WEC、WRC、モトGP等)の開催と外国人選手の参戦に影響する、ということをポイントとして押さえてほしい。
文/段純恵 写真/TOYOTA GAZOO Racing
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■「モータースポーツには公益性がない」この判断を聞いて関係者は何を思う
オリンピックやテニス、サッカー等の選手に認められている日本入国に関する『特例措置(実質3日間の完全隔離だけで、2週間の自主隔離は問われない)』がモータースポーツのアスリートはなぜ認められないのか。
問題解決のため関係各方面に働きかけているレース関係者によると、モータースポーツは公益性がないため特例は認められない、という判断だったそうだ。
これが法務省管轄の出入国管理局、外務省、国土交通省、文部科学省管轄のスポーツ庁等、どの方面の回答なのかわからないが、おそらくどの省庁に聞いたところで似たり寄ったりの回答だったろう。
そもそも公益性とはなんなのか。
スポーツ競技に上下があるのか、雇用人口約550万人の自動車産業から派生したスポーツに公益性がないと判断する根拠は何なのか?
とツッ込んだらかなり面白いことになるだろうが、お勉強に熱心で良い大学を出たエリートのお役人様=官僚にしてみれば、自分たちが歩んできた人生と無関係の業界など理解の範疇になく、そんな日本の官僚が考えるスポーツの公益性なんて『世間一般にどれだけ認められているか』程度ではないかと思う。
■モータースポーツの公益性と文化としてのスポーツ
毎戦テレビの地上波で中継され、専門誌以外の新聞や雑誌でレポートされることが彼らの定義するところならば、確かにいまのモータースポーツはどれも当てはまらない。
日本人ドライバーがインディ500で優勝しようが日本メーカーのマシンやエンジンがル・マンやモナコで頂点に立とうが、世間で広く話題になるわけでもない。
「ヨーロッパやアメリカでモータースポーツは一大産業にして文化。そのモータースポーツを軽んじれば日本のスポーツ文化のレベルが疑われますよ」的な論を張ったところで『???』な顔をされるのがオチだろう。
実際、ヨーロッパでは社会的ヒエラルキーの頂点にいる王族や政府機関の代表がレース観戦に訪れ、表彰式のプレゼンターになることが当たり前に行われているし、自らレースに参戦する旧王族や貴族も少なくない。
日本でもオリンピックやサッカー、プロ野球や大相撲では『天覧試合』があるし、皇族が名誉総裁としてそのスポーツの誘致や振興にひと役買う例も見られるが、陛下や宮様が公務としてモータースポーツ観戦に行幸啓、お成り遊ばされた例を筆者がモータースポーツを取材してきたこの30年間、寡聞にして知らない。
上記のプロ・スポーツや一部の公営競技のように、モータースポーツがもし皇室となんらかの『ご縁』をもっていたならば、官僚がいうところの『公益性』のあるスポーツとして扱われていただろうか。