■モータースポーツの公益性と文化としてのスポーツ
毎戦テレビの地上波で中継され、専門誌以外の新聞や雑誌でレポートされることが彼らの定義するところならば、確かにいまのモータースポーツはどれも当てはまらない。
日本人ドライバーがインディ500で優勝しようが日本メーカーのマシンやエンジンがル・マンやモナコで頂点に立とうが、世間で広く話題になるわけでもない。
「ヨーロッパやアメリカでモータースポーツは一大産業にして文化。そのモータースポーツを軽んじれば日本のスポーツ文化のレベルが疑われますよ」的な論を張ったところで『???』な顔をされるのがオチだろう。
実際、ヨーロッパでは社会的ヒエラルキーの頂点にいる王族や政府機関の代表がレース観戦に訪れ、表彰式のプレゼンターになることが当たり前に行われているし、自らレースに参戦する旧王族や貴族も少なくない。
日本でもオリンピックやサッカー、プロ野球や大相撲では『天覧試合』があるし、皇族が名誉総裁としてそのスポーツの誘致や振興にひと役買う例も見られるが、陛下や宮様が公務としてモータースポーツ観戦に行幸啓、お成り遊ばされた例を筆者がモータースポーツを取材してきたこの30年間、寡聞にして知らない。
上記のプロ・スポーツや一部の公営競技のように、モータースポーツがもし皇室となんらかの『ご縁』をもっていたならば、官僚がいうところの『公益性』のあるスポーツとして扱われていただろうか。
■マイナースポーツ競技者とモータースポーツ関係者の違いとは
以前、一般紙の運動部担当記者に聞いた話だが、オリンピック競技といってもスポンサーに事欠かない競技は全体の一部であって、練習場所や費用で苦労しているアスリートのほうが大多数だという。
モータースポーツと同じ『一般スポーツ』に分類されるそれらマイナー競技は、よほどのことが無い限り紙面で大きく扱われることがないため、選手たちは競技の現場で記者の姿をみかけると自分から話しかけ、後日新聞社を訪問し、競技の説明をするなど積極的に売り込んでくるという。
「こっちも人間だから何度もそうされると、次に紙面に余裕ができたときにその競技を取り上げようと思う。でもモータースポーツ関係者でそんなことする人に会ったことない」と、実はモータースポーツ好きのその記者は残念そうに話していた。
結局、いま日本のモータースポーツ界を悩ませている『公益性』のなさは、頭のカタい官僚のせいばかりではなく、自分たちが取り組んでいるスポーツを人々に知ってもらい、サーキットに足を運んでもらうための地味で地道な努力を業界全体で怠ってきたツケがコロナ禍であぶり出されただけではなかろうか。
■東京2020の開催成功で風向きが変わるのか
開催まで2ヶ月を切った東京2020だが、緊急事態宣言の延長で反対する声も大きくなり、開催そのものがグラついている印象は拭えない。
その成功をマイルストーンにしているF1やWEC他のモータースポーツ・イベントがどうなるのか、海外勢の入国制限が緩和されるのかどうか、現時点ではまったく見通せない。
たとえこのオリパラが万全の感染対策のもと成功裏に終了したところで、モータースポーツがオリンピックと同等の『特別枠』として扱われる保証はどこにもない。
それでも、この残念な現実を正面から受け止め、いま業界全体で進めている関係省庁への働きかけを続けていくことこそが、モータースポーツの『公益性』の確保につながる道であると筆者は確信している。
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