毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はマツダ ユーノス800およびミレーニア(1993-2003)をご紹介します。
文/伊達軍曹 写真/MAZDA
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■「十年基準」を掲げ登場したマツダ ユーノス系列のフラッグシップセダン
「十年基準」をキーワードとする本格派のセダンであり、今日隆盛の「ダウンサイジングコンセプト」を、どこよりも早く市販車で実現させた先駆者でもあった。
しかし、バブル期のマツダの悪名高い「5チャンネル化」と、それに伴う車種設定の増加で存在感が希薄になり、また同時期に巻き起こった「RVブーム」にも押し流され、結果として1代限りで消えていったマツダのフラッグシップ。
それが、ユーノス800ならびにマツダ ミレーニアです。
バブル景気に乗ってマツダが1980年代後半から推し進めた「5チャンネル体制」のなかで、「プレミアム感があって斬新でもある」という立ち位置にあったのがユーノス店系列でした。
そんな当時のユーノス店のイメージリーダー兼フラッグシップとして開発されたのが、1993年10月に発売された「ユーノス800」です。
ユーノス800が採用したキーワードは「十年品質」。
10年乗っても飽きがこない、普遍的で本質的な価値が織り込まれた高級セダンである――ということを言いたかったのでしょう。
そのキャッチフレーズどおり、ユーノス800はなかなか素敵なフラッグシップセダンでした。
存在感のあるグリルを中央に配したフロントマスクは、華やかですが落ち着きもあって、サイドラインも非常に伸びやか。
そしてリアまわりの造形も、今見ても「堂々としているが、端正でもある」という絶妙なものに思えます。
ボディの塗装には最高水準のハイレフコート、つまり車体をバーベキューのように回転させながら上塗り塗装を行うことで、塗料を厚く塗っても塗料の垂れ下がりが起こらず、結果として鮮明で深みのある塗装が実現できるという、マツダ独自の塗装技術が採用されました。
またボンネットフードは軽量化のためアルミニウムが使われ、キャビン内の質感や作り込みも、フラッグシップセダンにふさわしいといえる水準でした。
さらにユーノス800は、今日ではある意味当たり前となっている「ダウンサイジングコンセプト」の先駆けでもありました。
ユーノス800のために用意されたKJ-ZEM型2.3L V6DOHCエンジンは、量産車としては世界初の「ミラーサイクルエンジン」だったのです。
ミラーサイクルエンジンというものについての詳細な説明は省きますが、かなりざっくり言いますと、通常よりも吸気バルブタイミングを早くまたは遅く閉じることで、少ない混合気からより効率よく膨張圧力を取り出して、エネルギー効率を向上させる――というものです。
マツダはそんなミラーサイクルエンジンを世界で初めて量産車に搭載し、「3L並みの出力」と「2L並みの燃費性能」を両立させたのです。
ユーノス800は、最高出力220psの2.3Lミラーサイクルエンジンのほかに、最高出力200psの従来型2.5L V6もラインナップして攻勢をかけましたが、さっぱり売れませんでした。
1995年8月にはお買い得な特別仕様車「ミレーニア25F」を発売しましたが鳴かず飛ばずで、1996年6月のマイナーチェンジで車名を「マツダ ユーノス800」に変えましたが、やはり今ひとつ。
そして1997年7月には「ユーノス店」が廃止されたことで、再び車名を「マツダ ミレーニア」に変えましたが、だからといって特に売れ始めることはありませんでした。
そうこうするうちに発売10周年がやってきて、当初の「十年品質」というコンセプトをまっとうしたから――かどうかはわかりませんが、いずれにせよ2003年8月には生産終了となり、同年10月には販売のほうも終了となりました。
コメント
コメントの使い方このミレーニアのデザインを日産セフィーロがパクったと言われてましたね。