■「最善か無か」の企業哲学に世界最古の自動車メーカーとしての自負を感じる
メルセデス・ベンツらしさとは、何であろう?
同社の企業哲学は、「最善か無か」である。どの自動車メーカーも性能向上や改善、あるいは新技術の開発などを同じように進めていると思いがちだが、そこに、成果が最善であるかどうかを問うのはメルセデス・ベンツだけだろう。
もし、最善ではない、何かまだ改善の余地があると判断すれば、それは市場に出す水準ではなく、価値は無に等しいということだ。
もちろん、新車が完璧でない可能性もなくはない。しかし、最善であるかどうかを自らに問う姿勢が常にあれば、開発者はおのずと謙虚な姿勢になるはずだ。自らの技術力や開発の方向性の正しさを信じるあまり、高慢になってしまう姿を時に見かける。
それは人間の性でもある。しかし、新車を手にした消費者の気持ちを考えれば、「最善か無か」という問いの意味は大きい。まさにそこが、メルセデス・ベンツであるかないかの違いとなって表れる。
この点において、A180は、間違いなくメルセデス・ベンツという感触や手ごたえをもたらすクルマだ。
■運転しやすく、すべての乗員に安心を提供する、究極の実用車でもある
もうひとつ、メルセデス・ベンツらしさを実感させる鍵がある。それは、メルセデス・ベンツの開発で常に重視されるのが、「究極の実用車」であるかどうかだ。
メルセデス・ベンツといえば、Sクラスなど高級乗用車の印象が強く、実用車という言葉は似あわないと思うかもしれない。
実用車と聞くと、安価な大衆車で、日常の足として用を足せればあとは多少我慢をしなければならないところがあってもやむをえないと思い、まして上質さなどとは無縁で、壊れない丈夫さがあればいいといった価値を思い浮かべるのではないか。
しかし、メルセデス・ベンツでは、AクラスからSクラスまで、あるいはGクラスやSLクラスなどにおいても、究極の実用車であることが第一の要件なのだ。そのうえで、結果的に小型車であったり、高級車であったり、4輪駆動車であったり、スポーツカーであったりという区別があるだけである。
たとえば、かねてよりSクラスは高級車として大柄な車体を持つが、想像以上に都市部で運転しやすく、狭い路地でも曲がりやすいことで知られてきた。小回りしやすいように、前輪の舵角が大きくとれる車体構造やサスペンション形式を採用している。
そのうえで、たとえば2002年に発売された全長6mを超えるロングボディのマイバッハ62でさえ、内輪差を気にすることなくSクラスと同様の車両感覚で運転できたのである。ストレッチリムジンのような後席重視の超高級車でも、運転しやすいという実用性に不足はなかった。
同じことは、メルセデスAMG・GTでもいえる。500馬力に達するようなエンジンを搭載する高性能車でありながら、日常的な運転環境においてはメルセデス・ベンツのごく普通の乗用車と変わらぬ運転しやすさがあり、車両感覚もつかみやすく、緊張することはない。
それも、実用性という視点が忘れられていないからだろう。
車種の違いを問わず実用的であることを重視し、乗り心地においても、前後席の区別なく完成度は高い。AMG車両であっても、後席の快適性が損なわれることはない。
AクラスからSクラス、そしてGクラスやSLクラス、あるいはAMGでさえ、実用的なクルマがメルセデス・ベンツなのである。だから、老若男女だれもが気軽に運転でき、日常の用を足せる。そのうえで、品質は高く、安全で、信頼と安心をもたらしてくれるのである。
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