■BMWやポルシェに匹敵する性能のスカイラインが求められた
1985年夏に登場した7代目のR31系スカイラインは、今になると悪いクルマじゃなかったと思う。R30と呼ばれる6代目と乗り比べるとハンドリング性能は大きく進化していた。メカニズムを一新したことによって操舵フィールはシャープになっていたし、コントロールできる領域も大きく広がっている。
新設計のRB20系直列6気筒DOHCは、デビュー時こそ熟成不足と感じたが、後期のエンジンは見違えるほどよくなっていた。が、トヨタのハイソカーを意識しすぎて媚びたことがファンの逆鱗に触れ、低い評価となってしまったのである。
だが、日産の首脳陣は危機感を抱いたのだろう。7thスカイラインを発売した直後に8代目の開発プロジェクトをスタートさせ、次は世界一のスポーツセダンを造る、という意気込みで開発に取りかかったのだ。
R31系スカイラインの開発を最後に任され、マスコミからケチョンチョンにけなされた開発主管の伊藤修令さんは、誰よりも走りの質を高めることにこだわったはずである。だから量産車の枠を超えて徹底的にやった。それまでの流れをゼロに戻し、新たな評価基準を作って徹底的にやったことが稀代の名車を生み出したのである。
基準車ですら、性能目標の仮想ライバルは当時の最高レベルを突っ走るメルセデスベンツ190E2.3-16とBMWのM3、そしてポルシェ944ターボだった。
驚くほど志が高いから、目標達成は簡単ではなかった。
だが、バブル景気と「1990年までに走りの性能世界一」をめざした社内の啓蒙活動、「901活動」が、このモデルの目標達成を大きく後押ししたのである。
冴えた走りを支えるサスペンションやエンジンだけでなく、シートや操作系なども高いレベルに引き上げようと努力した。これらの技術革新と開発陣の情熱が、R32系スカイラインを名車へと導いた。
■史上最強のR32系スカイラインが誕生!
1989年5月、R32系スカイラインは正式発表された。
2ドアスポーツクーペと4ドアセダンを設定したが、ボディサイズは先代よりコンパクト化されている。5月に発売されたのは、後輪駆動の5ナンバー車だ。アテーサE-TSを採用したスカイライン初の4WDモデル、GTS-4とGT-Rの存在も明かされたが、両車の発売は8月21日となっている。
ファンを魅了したことの一つは、ウエッジシェイプに柔らかい面質のキュートなルックスだ。躍動感あふれ、4ドアセダンでもバランス感覚は絶妙だった。
全幅を小型車枠に収めているが、強い存在感を放っている。
2ドアクーペをベースに開発されたGT-Rはフェンダーを膨らませ、リアはブリスターフェンダーでボリュームを増して全幅を1755mmに広げた。フロントマスクはグリルレスではなく2本スリットの専用デザインだし、バンパーもGT-R専用だ。こちらもオーラを漂わせている。
パワーユニットは直列4気筒SOHCもあるが、主役は直列6気筒だ。スカイラインらしいのは、もちろん、DOHC4バルブと世界初のハイフローセラミック/ボールベアリングターボである。性能的にも2Lエンジンとしては世界トップレベルにあった。
組み合わされる5速MTは2速ギアと3速ギアをダブルコーンシンクロとしたから気持ちよくシフトできるし、電子制御4速のE-ATも高効率だ。
GT-Rの心臓は、もう一つ上の次元にある。グループAレースを制するために排気量を2.6LとしたRB26DETT型直列6気筒DOHCはレースでの使用を想定してシリンダーブロックなどを補強し、ラッシュアジャスターも省いた。6連スロットルチャンバーや各気筒独立のシーケンシャル電子制御燃料噴射システムなど、最新の技術を盛り込み、セラミックタービン採用のツインターボとしている。当時としては世界最強レベルのパフォーマンスだ。
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