1980年代から1990年代初期にかけて、「A・B・Cトリオ」とよばれる軽オープンスポーツモデルが相次いで誕生した。「A」は、マツダのオートザムAZ-1、「B」は同じくホンダのビート(BEAT)、そして「C」は、スズキのカプチーノ(Cappuccino)だ。
なかでも、フロントエンジン後輪駆動の本格的なスポーツカーのパッケージングで登場したカプチーノは、「軽FRスポーツの名作」といわれ、当時のクルマ好きを熱くさせた。
しかし、バブル景気崩壊とともに、市場は低迷。他の軽オープンスポーツが相次いで販売終了となるなか、カプチーノは販売を継続していたが、1998年にとうとうカプチーノも販売を終了。軽オープンスポーツはここでいったん絶滅となった。
その後、2001年にダイハツ「コペン」が誕生、2015年にはホンダの「S660」が誕生し、軽オープンスポーツは復活を果たしたが、カプチーノの復活はいまだ聞こえてこない。スイフトスポーツやアルトワークスなどのスポーツカーを擁するスズキだが、なぜカプチーノは復活しないのだろうか。
文/吉川賢一、写真/SUZUKI、ベストカー編集部
【画像ギャラリー】軽FRスポーツの名作 スズキ カプチーノとカプチーノの魂を受け継いだあのコンセプトカーを見る
■バブル景気に促されて誕生した「カプチーノ」
冒頭でふれた、80年代から90年代初期といえば、日本に空前のスポーツカーブーム訪れていた時代。
同時にこの時期は、バブル真っ只中でもあったことから、トヨタセルシオ(1989年)、初代NSX(1990年)、R32型スカイラインGT-R(1989年)など、ラグジュアリーカーからスポーツカーまで次々に登場、次々に新車が売れた時代でもあった。
国内の自動車メーカー各社とも勢いがあり、コストを多少無理してでも、「出せば売れる」時代であった。
スズキカプチーノも、そうした国産スポーツカー黄金時代のど真ん中の1991年10月、約146万円という価格で登場した(ちなみにAZ-1は新車価格約160万円、ビートは約140万円)。
ロングノーズ&ショートデッキの古典的なフォルムは、今見てもスタイリッシュでカッコいいが、カプチーノの凄さはその中身だ。
1990年当時、スズキのスポーツモデルとして、「アルトワークス」はすでに人気モデルとなっていたが、カプチーノでは、そのアルトワークスのエンジン(657cc直3 DOHCインタークーラー付ターボ)を縦置きにレイアウト。
さらに5速MTと組み合わせ、前後とも専用のダブルウィッシュボーン式サスペンションに、四輪ディスクブレーキを採用する、という本気ぶり。
その本気ぶりは、車両重量700kgという超軽量ボディにも表れている。ルーフ、ボンネット、リアフェンダーの一部にアルミニウムを使用、ホイールや駆動系にもアルミニウム素材を採用するこだわりぶり。
ちなみにルーフは、3分割ができて着脱も可能なアルミ材パネルを採用している。カプチーノに限らず、当時のクルマの多くがそうであるように、とにかく、お金のかけ方が尋常ではなかった。
コメント
コメントの使い方