現行型シビックが登場しているが、ホンダファンならずとも気になるのが後に控えるスポーツモデルの本命、そう新型シビックタイプRだ。
この期待の新型タイプRは来年登場するとみられているが、そもそもシビックにとってタイプRという称号が持つ意味合いとはどんなものだったのだろうか? 1997年8月に登場した初代シビックタイプRの当時の熱気を改めて振り返ってみた。
文/片岡英明
写真/ホンダ、ベストカー編集部
■タイプRはホンダにとって、究極のロードゴーイングカー!!
ホンダの熱いレーシングスピリットと最先端のテクノロジーを投入して送り出された究極のロードゴーイングカーが「タイプR」シリーズだ。レーシングカーづくりの高度な技術を積極的に採用し、圧倒的なドライビングプレジャーの獲得を目指している。
その最初の作品は、1992年秋に登場した初代NSXのタイプRだ。さすがにホンダのフラッグシップだから誰もが買えるホットバージョンではなかった。そこで量産車にも走りのフラッグシップとして「タイプR」を設定している。
第2弾は3代目のDC2型インテグラをファインチューニングしたタイプRだ。鈴鹿工場の製造ラインの一部に特殊な製造工程を加え、ベテランの職人が手作業でポート研磨などを行った。エンジンは高回転まで軽やかに回り、自慢のハンドリングにも磨きがかけられている。
■若者のための「タイプR」
これに続くタイプR第3弾が、6代目のシビック3ドアSiRをベースに開発されたEK9型シビックタイプRだ。
ホンダは最初、シビックにタイプRを設定する予定はなかった。だが、1990年代はシビックがホンダの国内販売の3分の1を占めていた時期である。
シビックにタイプRがないことに不満を漏らすファンは少なくなかった。また、走りの楽しさにこだわるホンダのエンジニアも、シビックにタイプRを欲している。これらの人たちの熱意に動かされ、上層部は開発のゴーサインを出したのだ。
国内専用モデルとし、ターゲットはクルマ好きの若者である。インテグラのタイプRより身近な存在にしようと考え、味付けの方向も大きく変えた。20代の熱い心を持つドライバーが多いだろうから、日常の足としても使える、扱いやすいホットハッチを目指したのだ。
当然、販売価格もクルマ好きの若者が買いやすいように配慮した。それなりにコストはかさむが、上層部は「絶対に200万円を切る価格で売り出せ」、とハッパをかけたのだという。
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