連日報道されるロシアからの無慈悲で一方的なウクライナに対する戦争。兵士だけでなく、多数の国民も犠牲になっている。また、ありとあらゆるものが破壊されているが、その中にウクライナの空の顔とも言われているアントノフAn-225ムリーヤも破壊されてしまった。至高の存在、アントノフAn-225とはどんな飛行機なのか。
文/有村拓真 写真/有村拓真、中部国際空港株式会社Twitter
【画像ギャラリー】世界中から愛されるアントノフAn-225ムリーヤ 規格外のその巨体を見よ!!(13枚)画像ギャラリー世界最大の飛行機はなぜ誕生したのか
アントノフAn-225ムリーヤ(ウクライナ語で夢や希望の意味)はウクライナのアントノフ航空(親会社は国営企業のウクロボロンプロム)で運用されている機体である。
もともとはソビエト社会主義共和国連邦に統合されていた当時のウクライナ共和国の時代に同国のアントノフ設計局が開発し、1988年に初飛行を果たした。全長84m、全幅約89m、全高約18m、最大離陸重量は640トン、貨物搭載量(ペイロード)は250トンと、現存する世界最大の飛行機である。タイヤは主降着装置7脚、合計32本もあり、エンジンは左右の翼に3個ずつ、計6個という他に例を見ない機体だ。
元々はアントノフAn-124ルスラーン(ウクライナ語などで獅子の意味)をベースに開発され、2機が生産されたが、1機は未完成していないまま現在も放置されているという。ちなみにAn-124は全長68.96m、全幅73.3m、全高20.78mで最大離陸重量405トン、貨物搭載量150トン。An-225の大きさ、貨物搭載量の多さがわかるだろう。

開発当初の主な用途はブラン(ソ連版スペースシャトル)の輸送であった。輸送方法は、ブランをAn-225の機体上部に固定、そのまま積載して輸送するというもの。東西で宇宙競争が活発であった時代、アメリカもボーイング747の機体上部にスペースシャトルを積載し輸送していた。しかし、An-225のブラン輸送は一度限りで終えることとなり、デビュー直後にソ連崩壊となったため、ブラン輸送の役割は終わってしまった。
長らく格納庫に放置され、部品取りなどに使われていたが、1999年にアントノフAn-124などを使用した超大型貨物輸送ビジネスを行い、非常に好調だったことから、An-124よりも大型で貨物をより積載可能なAn-225に白羽の矢が立ったのである。
世界各地での活躍、夢と希望、あこがれを乗せて
さまざまな貨物を積んで世界中を旅してきたAn-225。運べないものはないのではないかというくらい、戦車やヘリ、トラック、路面電車、飛行機の胴体部分の一部、130トンの発電機……ありとあらゆるモノを運んできた。日本への初飛来は意外と最近で、2010年には防衛省がハイチ大地震復興支援のため、自衛隊の物資や重機の搬送のためチャーターし、成田空港に飛来した。この後も2011年の東日本大震災の際、フランス政府のチャーターで、救援物資などを積載して来日している。
さらに、2020年には新型コロナウィルス関連での医療機器搬送を行っており、5月に2回、6月に1回と3度も中部国際空港、セントレアに飛来した。セントレアとAn-225の縁は深く、日本の周辺国への飛行時に給油などの目的でセントレアを経由する例が何度かあり、セントレアの駐機場などのキャパや過去の飛行実績などを考慮し、セントレアに飛来する機会が多くなったようだ。空港スタッフや航空ファンらもその度に歓喜していたが、これが最後の来日となるなんて誰が予想したであろうか。
世界中どこへ行っても人気者のAn-225は、航空ファンならずとも、いざ飛来したらお祭り騒ぎで、世界一の機体を一目見ようとあちこちから人が集まってくる。
このAn-225があこがれの存在で、いつか撮影するために飛行機のジャンルに入って撮影し始めた人も多く、どれだけ航空ファンから愛される存在だったのかがうかがえる。