2025年6月19~22日に開催される第53回ニュルブルクリンク24時間レースの前哨戦といえるNLS(ニュルブルクリンク耐久シリーズ)の第2戦にモリゾウさんが参戦し、見事クラス優勝。成績もクルマも上々の出来だったが、モリゾウさんが語ったのは意外な言葉だった。
文・写真:ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】雰囲気最高!! ニュルを駆け抜けるGRヤリスカッコ良すぎるからズームして見て!!(7枚)画像ギャラリーニュルでの2つの悔しさから始まった「もっといいクルマづくり」
モリゾウさんにとってニュルブルクリンク24時間レースは特別なものだ。2007年当時副社長だったモリゾウさんはニュルブルクリンク24時間レースに初めて参戦した。
それまで数年にわたりモリゾウさんは、マスタードライバー成瀬弘さんの下で基礎から運転を教わった。トレーニングに使われたのは80スープラ。そして、ニュル24時間レースに出場するための訓練も80スープラで走った。
モリゾウさんは当時を振り返ってこう話す。「スープラはすでに生産が終わっていました。しかし、当時は中古のスープラしかニュルに耐えられるクルマがなかったのです。
コース上で欧州メーカーが開発中のスポーツカーに抜かれた時に『トヨタさんにはこんなクルマを作るのはムリでしょう』という声が聞こえました」。
この時の悔しさが、「もっといいクルマをつくろうよ」の原点だ。
そして、もう一つ。2007年のニュルブルクリンク24時間を中古のアルテッツアで完走した時、モリゾウさんは人知れず涙した。その涙は完走できたという喜びからだけではなかった。むしろ、誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てもらえない悲しさがこみあげてきたからだという。
当時モリゾウさんは副社長だったが、レースに出場することは「ボンボンの道楽」と見られ、また社業でも「どうせ御曹司のあなたには何もできないでしょう」というふうに見られていた。そんな逆風の中での参戦だった。
「もっといいクルマをつくろうよ」と言い始めたもうひとつの原点は、この時の悔しさにある。
体調が万全ではない中、ニュルを走り切れるかという不安
6月の本番を前にNLS(ニュルブルクリンク耐久レース・4時間)の第2戦に出場したモリゾウさんだが、股関節に痛みを抱えながらの参戦となった。本番の24時間ではだいたい15周を走ることを想定すると、1回5周で3回走ることが必要になる。
15周と言ってもニュルブルクリンクは1周25km以上あるので、都合375㎞以上にもなる過酷なレースを戦わなければならない。
今回はあくまでも本番に向けた人とクルマの準備となるが、ニュルブルクリンクの厳しさを知るモリゾウさんは、4周走ると決め、走り切った。そしてGRヤリスDAT 109号車は見事SP2Tクラスで優勝を飾った。
「今回無事に走り切ることができ、ほっとしています。師匠である成瀬さんは67歳で亡くなっています。果たして68歳の自分をニュルは受け入れてくれるのか? そんなプレッシャーを感じていましたが、4周走り切った時には生きている実感を得ることができました。モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくりをチームみんなが実感してくれていることが、完走につながったと思います」とチームに感謝を述べた。
モリゾウさんはかつて「果たして生きて帰って来られるのか?」という恐怖と戦いながらニュルを走ったと教えてくれたが、その恐怖を忘れていないからこそ、ニュルブルクリンクに敬意を持ち、プレッシャーを感じていたのだと想像する。
6月のニュルブルクリンク24時間レースでモリゾウさんとルーキーレーシングはどんなドラマを見せてくれるのか? 奇しくもレースが終わった翌6月23日は成瀬弘さんの15回目の命日となる。














コメント
コメントの使い方規定のロールバーとかは入ってるけど、実質的に「市販ママのGRヤリスが長時間レースを走りきれるポテンシャルあるか」のテスト。
しかもそれをジェントルマンドライバーで達成して、売られたままで完全に一線級の能力があると示した。
体調悪い中、大変だったと思いますが、成して得たモノは大きいと思います