建築物や不動産でそこに美しく残りながらも、本来の役割をなさず無用の長物なっているものは「トマソン」と呼ばれ、これを探し追いかけるマニアも多いのだが、羽田空港に近い場所にある羽田可動橋もそのひとつだ。
そんな羽田可動橋がどうやら復活するという話が、どうやら現実味を帯びてきている。将来、羽田可動橋は復活するのか? 運用終了から24年経った現地の様子を取材してきた。
文、写真/成田颯一
■国内でも数少ない旋回橋
羽田可動橋は、東京の中心部と横浜の中心部を結んでいる首都高羽田線の、空港西出入口と昭和島ジャンクションの間、羽田トンネルの地上に位置する。
湾岸線開通以前、慢性的な渋滞ポイントとなっていた羽田トンネルの上り線混雑緩和のため、空港西出入口(当時は空港)から羽田トンネルを通過せず昭和島ジャンクションへ直接アプローチする、バイパス的な役割として建設されたという背景がある。
可動橋という名前の通り、海老取川を通過する船舶の通過時には、動くことができる構造となっており、橋桁が90度回転して通過できるようになる仕組みとなっていた。現在は運用されておらず、船舶が通過できる状態のままになっており、接続部の断面もよく見える状態となっている。
可動橋にはいくつかのタイプがあり、通称跳ね上げ橋と呼ばれる跳開橋や、真上に上昇する昇開橋などといったタイプがある。羽田可動橋のように橋桁が水平方向に回転するタイプは旋回型とよばれるタイプで、国内では有名観光地の天橋立にも旋回型の可動橋が設置されている。
可動橋のほとんどは、船舶の通過が多い河川や運河に多く、船舶の通過と自動車や鉄道などの通過のどちらの需要にも対応している。
羽田可動橋は空港のすぐ近くに立地しており、付近を通過する航空機の支障とならないように構造物の高さが制限されているため、跳開橋ではなく旋回橋が採用されたという経緯があるようだ。また、トンネルを新たに建設するのに比べると早くてローコストであったとも言われている。
■わずか8年間の運用期間
羽田可動橋は1990年に運用を開始。その後1994年に湾岸線が開通し、運用開始からわずか8年後の1998年に運用を終えている。
その後も、撤去されずにその地に残っていたため、いつか再び運用する日がくるでは? と期待され、東京オリンピックに合わせて再活用されるのではないかという噂もあったが、今日まで運用が再開することは無かった。
羽田可動橋に接続する道路や標識も、運用終了後の当時のままで残されている。また、羽田線との合流部分は逆走防止の対策が施されて封鎖されていた。
コメント
コメントの使い方