佳き時代の日本に「桁違いプライス」のクルマがいくつか存在した。クラウンが3台買えるといわれたトヨタ2000GTは、特別性能、特別仕立てのスーパーGTだった。
ロータリー・エンジンを引っさげて登場してきたコスモ・スポーツは確かに世界に無二の存在だった。もうひとつの桁違いプライスのクルマ、いすゞ117クーペはイタリアンテイストの手づくりボディが個性を輝かせていた。そんななか、日産が送り出したのは……そう、シルビア。
120万円という価格はセドリックの最上級モデル「カスタム6」よりも20万円高の設定。さて、それをどう考えるか。前二者に較べると価格差はそれほどでもない。特別感が少し足りなかった、と見るのか、「真っ当な」上級車と見るのか。
ともあれ、わが国自動車史の中で、ちょっと気になる存在であることはまちがいない。
いまも熱心な愛好家が存在する。初代シルビアの誕生からその後について紹介しよう。
文、写真/いのうえ・こーいち
■1964年の第11回「東京モーター・ショウ」
1964年といえば、初めての「東京オリンピック」が開催された年だ。それまでの「全日本自動車ショウ」から東京モーター・ショウに名前を変えたショウは、オリンピックの聖火を運んだグロリアも展示され、華やかなモデルが並んだ。
参考出品のマツダ・コスモ・スポーツは注目の的だったが、のちにトヨタ・スポーツ800になるパブリカ・スポーツやホンダ「エス」などが市販車に近い形で並べられ、より身近かになった憧れのスポーツカーに大盛況のショウであった。
そんななかで日産のブースに展示されたのが「ダットサン・クーペ1500」。シャープなエッジで構成されたクーペ・ボディはそんなに派手ではなかったけれど、充分に魅力的であった。
そもそも、その時期わが国のメーカーはどう進化していくか、さまざまな模索をしていた。当時からデザイン的には一歩先んじていたイタリアン・カロッツェリアにデザインを依頼した例も少なくなかった。
カロッツェリアメイドを売りものにするもの、逆に公表しないものもあった。カロッツェリアはデザインするだけでなく、試作車(それも走行可能な)まで製作してくれ、そのままショウに飾れるのも大きなメリットであった。
シルビアはドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツをコンサルタントに招いて、社内でデザインされた、という。
最近でこそ、誰がデザインしただとかいろいろ個人名が発表されているが、「公式」には上記の通り。ゲルツは米国に渡って、有名な流線型デザイナー、レイモンド・ロウイに師事し、米国で多くのクルマをプロデュースした自動車輸入代理業を営むマックス・ホフマンの仲介でBMWの503や507をデザインした。
シルビアの「クリスプカット」と呼ばれるエッジの立ったデザインは、普通の量産モデルでは見られない個性を際立たせていた。
ゲルツはさらに日産-ヤマハでプロトタイプA550Xをつくった。日産2000GTとも噂されたそれは結局は試作に終わり、トヨタ-ヤマハのラインでトヨタ2000GTがつくられたのは、その背景の複雑さが伺い知れる。
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