■ミニの最初の展開
いろいろな書物をみると、ミニの最初のころはあまり期待通りの販売ではなかったように書かれている。先にも述べたように、あまりにも革新的であったミニに人びとは戸惑っていたようでもあった。とくに、一般大衆に広まって欲しいベイシックカーなのだから、浸透するまでには少し時間が要った。
そんななか、ミニ・サルーンがデビュウした翌1960年、新たなヴァージョンが加えられる。エステートと商用車である。
コンパクトなパワートレインをつくったおかげで、ボディは比較的自由に形づくれる。その利点をそのままに、ホイールベースを4インチ(約103mm)延長し、その分広大な荷室を持つエステートを仕立てたのである。リアは左右に開く「観音開き」のドアが設けられた。
オースティンには「カントリイマン」、モーリスには「トラヴェラー」という名前のエステートが伝統的にラインアップされていた。それをミニにも踏襲したのである。もうひとつ伝統的に、荷室部分には木骨が使われていたことの名残りで、ウッドの飾りトリムを付けたりした。
その、ちょっとクラシカルな出立ちはのちのちわが国のミニ好きにも大いにヒットし、特別なミニ、というような扱いで人気を得た。
「カントリイマン」「トラヴェラー」には、その木枠のないモデルも用意され、その分少し安価なプライスタグが付けられた。
商用車は荷室部分に窓がなく、その分当初はルーフ上にヴェンティレイターが付く。装備は徹底的に簡素化されており、助手席もオプション設定であったりした。リアを荷台にしたピックアップも加わり、ミニは次第に数を拡大していく。
この後、ミニ・クーパーの登場、そしてラリー等での活躍があって、ミニはようやく火がついたようになるのだった。
【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)
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