コスモスポーツは世界に勝った! 「悪魔の爪痕」を乗越えた夢のロータリーエンジン

■2ローター、491cc×2

 最初、1963年の第10回「全日本自動車ショウ」に飾られたのは、400ccの1ローターと2ローターの2種のエンジンの試作品であった。エンジンだけで、車輛はパネルだけの展示だった、という。そのショウに冒頭に紹介したプロトタイプで登場し、広島の工場まで自走してみせたというのだから、まあ、話題としてはこのうえないほどのものだったことが想像つくだろう。

 「東京モーター・ショウ」と改称された翌1964年の第11回のショウでようやくプロトタイプが展示されたが、つづく第12回、第13回も飾られたのは市販車ではなくプロトタイプ。ようやく最後のプロトタイプ展示に「来春市販予定」の表示が出され、1967年5月にそれは実現したのだった。

 それだけエンジン開発には手間がかかったということを物語っている。コスモ・スポーツ発売より前にNSUヴァンケル・スパイダーが市販されたが、それは1ローター・エンジンで耐久性を含め多くの問題を抱えていた。ロータリ・エンジンは理論だけで実用にならない、そんな定評さえつくりかねない状況だったのだ。

 そうしたバックグラウンドもあったものだから、コスモ・スポーツの完成度の高さはそれこそ世界が注目、賞賛するものになった。世界初の「実用、量産ロータリー・エンジン」という形容がしっかり与えられた。

 最終的に市販までの間にエンジンは491cc×2ローターになっており、当初はマツダ・コスモだった名前もコスモ・スポーツ(英語綴りはsport)に変化していた。

 実用化されたエンジンは110PS/7000r.p.m.と発表された。先のヴァンケル・スパイダーは500ccで50PSとされていたから、そこそこのパワーではあったが、もっと性能アップの余地があると噂され、それは1年ののちに実現することになる。

■後期型コスモの進化

 コンパクトで高性能なロータリー・エンジンのメリットを活かし、コスモ・スポーツは低いボンネットのスタイリングを実現、しかもフロント・ミドシップというようなレイアウトで登場していた。

 初期型のエンジンは10A型と呼ばれ、前述のように110PS。それでも、低く軽量な2シーターのボディを最高速度185km/hまで運ぶ、と謳われた。

 それが1年後、マイナーチェンジとともにひと回り進化してみせる。エンジンは128PSにまでパワーアップ。カタログデータの最高速度も200km/hにアップした。排気量その他に変更はなく、ポートタイミングの最適化などのチューニングアップで得られたという。

 じつはエンジンよりも車体内外のチェンジの方が実質的であった。フロント周りのデザイン変更などがチェンジのポイントとして知られるが、ホイールベースが150mm延長されて2350mmに、トレッドも拡大され、タイヤなどもしっかりサイズアップされた。つまり、この時期の技術的進化を貪欲に盛り込んだ結果、と印象が強い。

 考えてみれば、マツダは乗用車生産に乗り出したばかり。「軽」のマツダR360クーペの発売が1960年。それと同時にロータリー・エンジンの実用化に取り組み、ようやくにしてコスモ・スポーツで完成させてみせたところだった。

 コスモ・スポーツ以後、ファミリア・ロータリー・クーペ、サバンナなどが送り出され、RX-7など世界で注目された人気車も送り出している。2012年6月、RX-8の生産終了とともに途絶えているロータリー・エンジン搭載車。だがマツダの名とともにロータリーは永遠に忘れることができない。

【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)

【画像ギャラリー】広島から社長自らが運転しモーターショー会場に登場!! お披露目もセンセーショナルだったマツダ コスモスポーツ(6枚)画像ギャラリー

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