チェイサー、セリカも崩せなかったスカイラインの牙城
スカイラインは、3代目・通称ハコスカのGT-Rといったモータースポーツでの活躍によるブランドイメージの高さや、標準モデルでは実用性とスポーツ性の見事なバランスを理由に、6代目モデルあたりまでは日本を代表する孤高のスポーツセダン/クーペであった。
当然スカイラインの人気を崩すべく、トヨタもマークIIに兄弟車としてスポーティなチェイサーを加えたり、スカイラインが5代目(通称ジャパン)だった頃にツインカムエンジンを搭載した2代目セリカを投入。
同車は「名ばかりのGT達は、道を開ける」というキャッチコピーでスカイラインを挑発するものの、スカイラインもターボエンジンで対抗。過去の名声もありスカイラインの牙城をなかなか崩せなかった。
スカイラインは1981年登場の6代目までは2L 4気筒のスポーツエンジンを積むRS系の存在で踏ん張ったものの、1985年登場の7代目モデルではソアラなど当時“ハイソカー”と呼ばれた軟派で豪華なクルマに惑わされ、日産にはローレルがあるにも関わらず自滅するようにマークII的なクルマになってしまった。
7代目スカイラインは低迷するが、1989年登場の8代目(R32)ではGT-Rの復活やモータースポーツでの活躍も後押しし、スカイラインらしさが復活。再びマークⅡ三兄弟とはまったく性格の違う孤高の存在となった。
しかし、その後スカイラインはマークII三兄弟のスポーツモデル“ツアラーV”の猛攻により低迷。
また、V6エンジン+フロントミッドシップへ移行し、世界戦略車として脚光を浴びながら、コンセプトの変化や浮き沈みの激しいクルマとなっている。
オデッセイに挑み一代で散ったマークXジオ
オデッセイは2003年登場の3代目モデルで、7人がきちんと乗れる室内スペースを維持しながら、全高を立体駐車場に入る1550mmまで下げるという技術革新を行い、登場から2年ほどはミドルクラスのステーションワゴンの市場を奪うほどの成功を収めた。
その3代目オデッセイに近いコンセプトで2007年に登場したのがマークXジオである。
一部で「トヨッセイ」と揶揄されるほど3代目オデッセイに影響を受けたマークXジオは、乗ればなかなか良いクルマながら、サードシートの狭さやイモムシのように決定的にカッコ悪かったデザインに加え、この種のミニバンに対する需要の減少で、アドバンテージがなく、“クルマが良くても需要がなければトヨタでも売れない”という見本になってしまった。
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ここまで紹介したモデルは、トヨタにとって数少ない失敗例だ。あのトヨタが“後出しジャンケン”をしても時期やコンセプトが良くなければ勝てないこともある。
ライバル車から見れば、それは自車のブランド価値を大いに高めた出来事であったに違いない。
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