かつてのモータースポーツは、たばこやお酒といったスポンサーがチームをバックアップし、その流麗なカラーリングは様々な世代から人気を得ていた。
しかし世界的な広告規制によって、これらのスポンサーのロゴなどがマシンを彩ることができなくなった。長年マールボロブランドでフェラーリF1を支えてきたフィリップ モリスも、カンパニースローガンなどをマシンに表示するなどしていた。だが、2021年を最後にF1を撤退することになった。
今回は、そんなマールボロがWRC(世界ラリー選手権)で三菱チームをサポートしていたころの、懐かしいカラーリングを紹介しよう。
文・写真/佐久間健
■かつてモータースポーツとタバコメーカーには密接な関係があった
三菱ランサーエボリューションといえば、ラリーで勝つために生み出されたマシンである。当時世界ラリー選手権(WRC)はグループA規定で戦われていた。
その前はグループB規定のマシンで戦われていたが、ベースマシンを大幅に変更したラリー専用車は性能が高すぎたため、ドライバーや観客にとって危険とみなされ、より市販車に近いグループA規定が採用された。
1987年のグループA初年度は多くのワークス、セミワークスがエントリー。ランチア、アウディ、ルノー、フォード、VWなど欧州メーカーに加え、トヨタ、日産、スバル、マツダなどの日本メーカーも参戦している。
グループBまでは駆動方式やエンジン変更が自由だったが、グループAではベース車のポテンシャルがラリー車の性能を左右する。
三菱自動車は1992年までギャランをベース車として参戦していたが、その高性能な4気筒ターボエンジンと4WDシステムをコンパクトなボディに収めた初代ランエボを1993年のWRC開幕戦から投入している。
当時のメーカーの参戦形態はさまざまだったが、通年ですべてのラリーに参戦するメーカーは限られており、スケジュールや開催地を選んで数戦に出場する方が多かった。
また、1980年代は、フルにスポンサーのカラーリングで走るチームはごく少数だったように思う。ランチアのマルティーニのカラーリングが目を引く程度だ。ちなみにマルティーニ(社名はマルティーニ・エ・ロッシ)はイタリアの酒造メーカーだ。
通年での参戦には莫大な予算が必要となるため、なかなかメーカーでは捻出できない。それを支えるのが大手スポンサーで、1900年代はたばこ会社や酒造メーカーなどが担っていた。グループAでのランチアの活躍にマルティーニが果たした役割は大きい。
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