初代のGT-R、PGC10型は4ドアだった。スカイラインとしては三代目にあたるC10系のボディに、レーシング・プロトタイプから移植した伝説の直列6気筒DOHC24ヴァルヴ・エンジンを搭載、たちまち憧れの存在となった。
それが2ドア・ハードトップ・ボディのKPGC10型にチェンジしたのが1970年秋。レースでの活躍もあって大きな注目のうちに、スカイライン自体は1972年9月にはモデルチェンジされ四代目に移行する。
「ケンとメリーのスカイライン」、略して「ケンメリ」と呼ばれるC110系の登場である。
文、写真/いのうえ・こーいち
■それにしても「ケンメリ」とは……
たとえば前の三代目はのちのち「箱スカ」などと呼ばれたりする。四角いボディ・フォルムから付けられた愛称のようだが、それはメディアやファンが付けたもので、メーカー自体が使っている愛称というものではなかった。
ところが、である。「ケンメリ」はメーカー主導で付けられた名前。クルマの愛称にそうしたキャラ名が使われるなど異例なことで、それ自体が話題になったりしたものだ。
時代はさまざまな規制が導入された、クルマにとっては呪うべき1970年代のことだ。チェンジされたC110系は、どこか性能よりも人気でアピールしようとしたフシがある。そのひとつが「ケンメリ」というCMの導入であった。
ケンとメリーという若いふたりが楽しむためのクルマ、それもガンガン走りをというのではなくきれいな景色を見に行ったりして楽しもう、と主張したのであった。
それが功を奏して、スカイラインはそれ自体がブランドであるかのような人気を得る。「ケンメリ」のTシャツが億の単位の売り上げを示し、「ケンメリ」が行った街かどが有名になったり。まるで広告がひとり歩きしているような現象をもみせた。
広告を仕掛けた側は、三代目は「速いスカイライン」だったけれど、四代目は「売れるスカイライン」にしよう、と展開したというのだから、「ケンとメリー」はまんまと大成功、というようなものだった。
クルマ好きや評論家には大きく重くなった、スタイリングもぼってりとして精悍さが失せた、などと評されても売れた「ケンメリ」はそれでよかったのだ。
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