■ニュルで鍛えることなどまったく望んでいない(清水草一)
■清水草一の評価点…クラウン:55点/センチュリー:100点
●クラウンをどう評価する?
クラウンに憧れを持ったことのないクルマ好き(私)にとって、新型クラウンは、まったく魅力がないクルマだ。
もちろんクルマとしてはちゃんとできているし、走りはとてもよくなっているが、そのよさはサーキットを走って初めてわかるもので、公道をフツーに走っているかぎり、特段思いどおりに動く感覚はなく、感動もなかった。
BMWやメルセデスは、そこらをフツーに走ってもちゃんと感動を与えてくれるが、新型クラウンにはそれがないのだ。
逆に、走りをスポーティに振ったぶん、クラウンの持ち味だったフワッとした乗り味は薄くなり、なかでもRSの一部グレードは、明らかに足が硬すぎる。まあ一部ですが。
新型クラウンが目指したのは、ドイツ車コンプレックスの克服なのだろう。でもクラウンを買う人は、ニュルで鍛えることなどまったく望んでいないのだから、それは開発者のひとりよがりじゃないか? デザインも先代ロイヤル系の延長線上で、かつまとまりがない。
結局新型クラウンは、中途半端に脱クラウンを目指しただけで、作り手には、クラウンに乗る人が見えていない気がする。従来のクラウンユーザーはもちろん、新規に開拓する顧客像も。
●では、センチュリーは?
センチュリーのコンセプトは、恐ろしいほど明確だ。それは、皇室を頂点とする日本の頂上層に、いとやんごとなき高級車を供給することにある。
そこには「ニュル」なんて無意味な想定はカケラもない。日本の路上で、いかに重々しく壮麗にしずしずと移動するか。それだけを目指して作られている。
先代センチュリーと比べたら、快適性は恐ろしいほど向上している。ムダにフワフワするだけだったみたいな乗り味は、ロールスロイス的雲上界に昇華した。スバラシイ。
乗る人のイメージは、あまりにもはっきりしている。ズバリ、天皇陛下。そこにターゲットを置いて作られているのが、ひしひしと伝わってくる。
つまり、新型センチュリーに乗れば、誰でも天皇陛下を感じられるのだ!
ターゲットが中途半端なクラウンと、猛烈にはっきりしているセンチュリー。その差はあまりにも、あまりにも大きい。
■古いユーザーはバッサリいかないと無理だ(諸星陽一)
■諸星陽一の評価点…クラウン:90点/センチュリー:100点
●クラウンをどう評価する?
ユーザー年齢を下げるべく、孤軍奮闘しているクラウン。事実上、国産車にはライバルは存在せず、輸入車(といっても敵はドイツ車に限定されるだろう)を相手にジャパニーズセダンがどこまで盛り返せるかが勝負どころだ。
江戸時代の鎖国政策がいまだに影響しているのか? 日本人は輸入品のブランド力に弱い。使いにくくても、維持費が高くてもガイシャの魅力にやられっぱなしだ。
しかし、純粋にクルマだけを見た場合、クラウンは実に理にかなったクルマだ。第一にそのパッケージングがある。横幅1800mmを守り続け、日本のインフラに対応し続けるところは拍手喝采。郊外の住宅街に住んで、大型のショッピングセンターにしか行かないなら、でっかいクルマもいいだろうが、いろいろな場所に行くなら、ボディサイズは重要だ。
残念なのは、今までのユーザーを捨て切れなかったこと。若返りたいなら古いユーザーはバッサリいかないと無理だ。
●では、センチュリーは?
センチュリーは天上天下唯我独尊。このクルマにライバルは存在しない。センチュリーにしようか? メルセデスにしようか? という選択肢はない。日本の政治家はメルセデスベンツに乗って国会には行けないだろう。自民党ならなおさらだ。
センチュリーはそういうクルマだ。しかし、そういうクルマがこの国にもあるというのは誇るべきことで、これぞ日本の宝と言っていい。
惜しむべきはフルモデルチェンジで従来のV型12気筒がV8ハイブリッドとなってしまったこと。もちろん、時代の流れではV8ハイブリッドだろう。しかしそんな時代だからこそ、トップのトップはとんでもないパワーユニットであって欲しかった。
いまや日本車のなかで本物のショーファードリブン(運転手付きのクルマ)は、センチュリーしか存在しない。リアシートがここまで快適な国産車は、唯一なのだ。
コメント
コメントの使い方