エリザベス女王が亡くなり、世界中で多くの人が悲しみにくれた。70年を超える在位期間をはじめ、これまでのエリザベス女王の功績はこれからも語り継がれていくことだろう。
そんなエリザベス女王、そしてイギリス王室といえば数々の公用車が大きな話題になってきた。近年のエリザベス女王が普段の移動手段としていたのはベントレーステートリムジンだが、その前にはロールスロイスを愛用していた。
あまり日の目を浴びなくなってしまったかつての女王公用車であるロールスロイスファントムVI。国葬でふたたび脚光を浴びた世界最高峰の名車を振り返ろう(トップ画像はファントムV)。
文:ベストカーWeb編集部/写真:Rolls Royce Motorcars
【画像ギャラリー】これぞ伝統的英国スタイル!! 誇り高きクラフトマンシップをとくと見よ(16枚)画像ギャラリー■イギリスの「誇り」がドイツの傘下になった日
エリザベス女王のロールスロイスを振り返る前に、最後の公用車となったベントレーステートリムジンについて触れないわけにはいかない。ベントレーといえば今さら説明する必要もないほど有名なイギリス発祥の高級車メーカーだ。
しかしエリザベス女王がロールスロイスからベントレーに乗り換えられたことは、単純に公用車のメーカーが変わること以上に大きな意味があった。
それはエリザベス女王の地位と車格に関係がある。ベントレーはロールスロイスの兄弟車という歴史を歩んできたブランドであると同時に、ロールスロイスよりスポーツ性が高くパーソナルユース志向が強いブランドだ。
ベントレーがいくら伝統的な英国車とはいえ、その車格はあくまでもロールスロイスの傘下にあったブランドであり、女王陛下の公用車としてはふさわしくないという指摘も多くあった。
ではなぜ公用車はロールスロイスからベントレーに変わったのか。そこにはロールスロイスとベントレーのブランド売却騒動が関係してくる。1998年にロールスロイスとベントレーは業績悪化からブランドの売却を決定する。その際に両社を購入したのがドイツのフォルクスワーゲンだった。
■ベントレーが「正統」になっても揺るがないロールスの立ち位置
当時のフォルクスワーゲンはベントレーとロールスロイスの製造コストを適正化して超高級車ビジネスを成功させる狙いがあり、それまで職人が手組みをしていた6.75Lエンジンの採用を避け、BMWからエンジン供給を受けてより収益性の高いモデルを製造した。
しかしイギリスの二大高級車ブランドの波乱はそのままでは終わらず、今度はフォルクスワーゲンとBMWの間に新たな契約問題が起こる。そしてロールスロイスはフォルクスワーゲンからBMWに移管され、フォルクスワーゲンはベントレーを継続生産する。
実はここにベントレーがエリザベス女王公用車になる大きな分かれ道があった。それがフォルクスワーゲンがベントレーを手に入れたと同時に、伝統的にベントレー/ロールスロイスを製造してきたクルー工場も傘下に収めていたことだ。
2003年にBMWもロールスロイス用にイギリスのグッドウッドに工場とブランド拠点を設けるのだが、やはり伝統を重んじる英国王室らしく、イギリス王室の公用車を担う「正統」はクルー工場を含むベントレーという認識にこの時に決まったという見方は強い。
それを考えればエリザベス女王の公用車がベントレーになったのもある意味では当然かもしれない。ベントレーステートリムジンのエンジンについてもいろいろと噂はあったものの、結局は伝統的なOHVの6.75Lを誇るV8エンジンに落ち着く。
イギリス王室の公用車たるもの、イギリス伝統のエンジンがなければならなかったのだろう。
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