日本にまだミニバンという言葉が定着していなかった1990年。トヨタが革命的なミニバンを発表する。米国名はプレビア、日本名でいうと「エスティマ」である。
鼻先からリアエンドまで、ワンモーションの曲線で繋いだ美しいフォルムの中に広々としたキャビンを実現し、ハイブリッドシステムなどもいち早く取り入れてきたミニバンの巨人。
ところが世間でのオラオラ顔の台頭には勝てず、2019年に生産を終えた。いまでも中古車市場で根強い人気を誇る天才タマゴの30年を、クルマ史に詳しい片岡英明氏に振り返ってもらった。
文/片岡英明、写真/トヨタ自動車、ベストカーWeb編集部
1ボックスの限界から生まれた稀代のLクラスミニバン
昭和の時代、クルマ好きでさえ「ミニバン」という言葉を知っている人は少なかった。このジャンルの開拓者は、アメリカのクライスラー(現・スティランティスN.V.の1ブランド)だ。ビッグバンより少し小さいマルチパーパスカーのダッジ・キャラバンとプリムス・ボイジャーをミニバンと呼んで売り出した。
日本にも日産プレーリーや三菱シャリオといった乗用車ベースのマルチパーパスカーがあったが、世界に通用するサイズではない。
1980年代までの昭和の時代の主流は、キャビンと荷室を広くできる食パンのようなキャブオーバースタイルの1ボックスだ。商用車だったが、これを乗用のワゴンに手直しして販売した。だが、背が高く、ホイールベースも短いから風の影響を受けやすく、高速走行ではフラフラする。静粛性と乗り心地も悪い。
1ボックスの限界を感じたトヨタは、北米で大きな伸びを見せているミニバンのジャンルに注目した。
そして生み出したのが「エスティマ」である。平成を代表するミニバンにのし上がり、3代、30年にわたってミニバン市場をリードし続けた。販売好調なエスティマを倒そうと、日産はエルグランドを、ホンダはエリシオンを、マツダはMPVを、三菱はグランディスを刺客として送り込んでいる。
90年代半ばからライバルメーカーが本気で開発に取り組むなど、Lクラスのミニバン市場は大きなマーケットに成長した。その基礎を作り、根付かせたのが「エスティマ」だ。
コメント
コメントの使い方エミーナ、2代目、3代目と乗り継いできたけどモデルが無くなってしまい乗り換え先がない…アルファードでもいいんだけど顔がなあ…家で充電できる環境も整ったし、BEVかPHEVにして復活してくれないかなぁ
エスティマをphevにして再販して欲しい・・・
エスティマは後継があれだけ長く売れた上に大規模MCまで受けたのだからずっとマシな扱いでしょう。
MPVは燃費以外とても良かったのに続かず、やっと出たCX-8は全く別物の使い辛い長SUVになっていました。
マークXジオも一切売れず消え、成功したオデッセイまで消え…価値観が変わり、家族を最優先できる者にとっては中途半端という時代になったのかも知れません。